観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

コンテイジョン(2011)

ネタバレ注意!これから観る人は読まないように。

新型コロナウイルス流行直後から話題になっていた映画で、まるで現状を予見したかのような内容と、今の世から見た考証の確かさが再評価されている。たまたまPrimeVideoで視聴可能になっていたので観た。

香港出張からアメリカに帰国し、元恋人と逢瀬を楽しみつつ帰宅したベスは体調を崩し、自宅でけいれんを起こして倒れる。夫のミッチが急いで救急車を呼び病院へ運ぶが、ベスは2日後に亡くなった。同じころ、中国の青年やロシアのモデル、東京のビジネスマンが次々と倒れ、亡くなっていった。謎のウイルス感染の発生である。
CDC(米国疾病対策センター)は感染源の究明のためミネアポリスへミアーズを派遣し、ミアーズはそこでベスが最初の感染源であること突き止めるが、自身も感染して死亡してしまう。
このウイルスはMEV-1と同定され、ワクチンを培養すべく、様々な研究者が奮闘する。その甲斐あって有効な培養下地が見つかり、研究が進められた。
インフルエンサーのアランはネットにウイルスについての憶測を流した。その中にはレンギョウで感染が治った、という情報が含まれており、レンギョウを求めて人々は薬局へ殺到する。
WHOは香港へレオノーラを派遣し、ベスが香港で最初の感染者となったことを突き止めるが、政府職員のスンはレオノーラを拉致し、自分の故郷である村に連れて帰り、彼女を人質としてWHOにワクチンを要求する。WHOは彼らへワクチンを渡すが、それは偽薬であった。
さまざまな努力の成果でワクチンは完成した。その時点でアメリカでは250万人、世界では2500万人が死亡していた・・・

MEV-1は感染すると20%~30%が死亡すると言われている致死率の高いウイルスで、これが現実にはやったら、その恐怖感は察するに余りある。現実世界でひっきりなしにその恐怖にさらされているため、このフィクションの映画が改めて怖く感じる。
それにしても、感染源を突き止めていくやり方や、人々のパニックのなり方、生物兵器が疑われたり、心無い人が風説を流布したりというあたりが、本当に現実世界とそっくりで、よくもまあここまで緻密かつ正確な考証をしたものだと関心しかない。確かに話題になるのはよくわかる。

ただ、この映画の登場人物はとにかくスタンドプレイが大好き。「あなたの環境では危険すぎるのでウイルスを破棄しろ」と言われた大学教授は助手にも内緒でこっそりとウイルスを破棄せず研究を進め、おかげで培地が確定したわけだが、この人をだれも咎めることはせず、肩をすくめるくらいで終わっている。
また、ワクチン開発を行っているヘクストールは、いろいろな手間を避けようと、まだサルでしか検証されていないワクチンをいきなり自分自身に打ち、その効果を確かめるために感染した父親を見舞って、手を握ったり額にキスしたりとやりたい放題で、そのおかげでワクチンの有効性が確認できた。
たしかにこれらの行動のおかげでいろいろ捗ったわけだし、最後は英雄的な行為だと同僚から褒められてすらいる。アメリカではこういうのが称賛されもてはやされるのかもしれないが、危険で無謀な行為であるようにしか見えないんだよな・・・
この辺でもうちょっとリアリティを追求してほしかった。
あと、上院議員を安全な場所に移送するために軍が出動することから、感染した職員の移送に手が回らない、というシーンがあるのだが、アメリカではこれって当たり前なのだろうか。日本で国会議員が自分の安全のために自衛隊を動かしたりしたら職権濫用で辞職ものだろう。

出演者がやたら豪華で、ローレンス・フィッシュバーン、グィネス・バルトロウ、マッド・デイモン、ケイト・ウィンスレットなど、錚々たるメンバーが名を連ねている。その割には地味この上ない映画で、封切り当時の評価もそれほど高くなかったようだが、現在再評価されたのはよかった。

最後の感染源の種明かし的なエピローグはフィクションだけに許されるオマケだな。現実世界では誰もわからないことなのだから。

 

movicle 電動キックボードシェアサービス

流行りのものを取り上げてレビューするとか、珍しくブロガーっぽいことをしていて逆に気恥ずかしくなってくるが、そういうのは一般的なブロガーにお任せして、こちらでは感想メインに書いてみる。

たまたま機会があって使うことになった、電動キックボードを時間単位で借りることができるサービス。シェアサービスとなっているが、まだまだポート(電動キックボードが止めてある場所)が少ないので、ポートからポートへの移動はできず、実際は時間貸しレンタルとほぼイコールな感じ。
事前にスマホで専用アプリをインストールし、その中で個人情報及び免許証の画像を登録する必要があり、登録すると数分後に承認された旨メール連絡があった。
予約的なものはなくそのまま現地に向かうと、無人のポート=電動キックボードが置いてある野ざらしの場所があって、ちょうど2台置いてあった。妻と二人だったのでちょうどよかった。というか別の人が使っていたら諦めなければならなかったわけで、この規模では一般普及という感じではなく、まだまだ実証実験的な意味合いが強いサービスなのかも。この日は別用で休暇を取っており、平日の昼間だったことも幸いした。

キックボードの前面に籠がついていて、その中にヘルメットが入っており、ヘルメットにつながっている電源プラグみたいなものがキー代わりになっている様子。何もせずに引っこ抜いたらキックボードに備え付けの液晶ナビ画面に「プラグを抜かないでください」的なアラームが出たので慌てて元に戻す。
まずスマホで専用アプリから利用開始をチェックすると、GPSマップで今いる場所が特定され、「今~ポートにいます」的なメッセージが出る。そのあとに電動キックボードに備え付けのQRコードを読み取ると、どの電動キックボードを使い始めようとしているかアプリが読み取るという仕組み。
そのアプリの中で、1時間1000円を選択して利用開始のチェックをした後にヘルメットのプラグを抜くと、アラームは出ず利用開始できた。ナビがスマホで行われた利用開始チェックを即座に受信してアラームが出ないようになったわけだ。よくできてるな~。

なお、電動キックボードは道交法上は原付扱いなので、公道のみ走行可能で歩道走行不可、ヘルメット着用必須、原付免許必須、制限速度30km/hまで、二段階右折必須。本体にはライト、ウインカー、原付ナンバーがついており、原付要件を満たしている。原付に乗ったことがない人だと、最初はちょっと戸惑うかもしれない。
しかしこちとら高校卒業後から原付スクーターで走りまくり、スピード違反で何度警察へ献上金を差し出したかわからないくらい痛い目に会いまくっているので、その辺はストレスなく走ることができた。

アクセルは右に指でトリガーを引き絞る式のレバーがあり、指一本で加速。左右に自転車式のレバーがついており、前輪と後輪でブレーキがかかるようになっている。
加速も減速もスムーズで、急な衝撃で投げ出されるようなことはなく安全。
ウインカーはスクーターのように押し込んでキャンセルできるわけではなく、単純に真ん中に持ってこないと消えないのだが、スイッチがやたら小さいのでなかなか真ん中に持ってこれないのが難点。
また、電動キックボードに備え付けのナビにはずっと地図と現在位置が表示されているのだが、備え付けのサンシェードでは大きさが足りず、太陽が反射してほとんど見えなかったので、利用開始から何分経過したかを見るだけのモニターになっていたのはちょっと残念だった。
今回使った電動キックボードはモード1(1速)からモード3(3速)まであり、3速まで入れると45km/hくらいのスピードまで出せるが、30km/hまでしか出さないので2速で十分。トルクの違いもほとんど感じなかったので、速度以外でモードを使い分ける必要性はほぼなく、ずっと2速に入れっぱなしだった。
キックボードなので足を置くスペースは細く、足を前後にして更に縦に向けないと乗っていられない。動力によるジャイロ効果で何とかまっすぐな姿勢を保てるが、超低速になるとバランスを崩して倒れそうな危うさは感じた。ただ、そんな速度で乗ることはまずないので、普通に移動する分にはまず問題ない。
何年か前にセグウェイに乗ったことがあるが、あちらの方が安定感は断然高い。両足揃えて乗れるし。ただ、あれは相当かさばるので同列で比べてはいけないだろう。
立ったまま30km/hの速さで移動するのは最初相当違和感というか非現実感を感じたが、最初の3分くらいで慣れた。体で風を切る気持ちよさはバイク以上で非常に爽快。まあ、今日は天気が良くてむしろ暑かったからというのも大きく、雨や寒い日などは相当つらそうだが、まあそんな時には乗らなければよいだけの話であり、走るだけで純粋に楽しめるのは間違いない。
あと、当たり前だがものすごく注目を浴びる。逆の立場ならガン見してしまうので仕方がない。年配のご婦人同士が立ち話中に、赤信号で停止しているこちらをしげしげと眺め、「最近テレビでやってたアレね」と言っていたのが印象的だった。

時間ギリギリまで遊んで、問題なく返却。スマホで利用終了するだけなのでとても簡単。機会があったら是非楽しんでほしいサービスだった。ただ、同行者の最低一人が原付バイクの運転経験があるとよりスムーズかもしれない。

一台欲しくなってしまったが、だいたい10万円くらいとのこと。ドンキで4万くらいのも売っているらしいが、スピードは遅いしバッテリは持たないらしいので、公道を走るならいい奴を買った方がよいらしい。ちょっと遊ぶには高いかな。
でも一回の充電で45kmくらいは走るらしいので、自分のうちの近くで買い物に行ったりちょっとした用を足すには十分すぎる。駐輪場がいらないし、なんなら車に積んで持っていくこともできるので、いろいろと楽しく遊べそうではある。
ただ、まだまだ日本では目新しい乗り物だし、買い物に行ってチェーンを切られてパクられる未来も予見できる。その辺をうまいこと運用できれば、買ってもいいかもしれないな~。

 

movicle.jp

ULTRAMAN(2004)

 ウルトラマンのオリジナル劇場版。

突如宇宙から飛来した青い発行体。それは海上自衛隊の隊員と融合し、「ビースト・ザ・ワン」へ変貌を遂げ、ゆっくりと成長・巨大化していくのだった。
一方、同じ空中から来た赤い発行体と衝突し、同化した航空自衛隊の真木舜一は、そのうちに秘められた巨大な力にまだ気づかずにいた・・・

1966年に発表された「ウルトラマン」の第一作、「ウルトラ作戦第一号」が現代で起きたらどうなるか、その時人類はどのように対応するのか、という点をリアリスティックに描くというのが本作の趣旨。
完全に大人向けに作られており、ある意味グロテスクで残酷で、容赦も妥協も救いもない。
ザ・ワン」(=ベムラー)へと変貌してしまった海上自衛隊の有働は、自身は悪くないのにビースト因子に取り込まれてしまった、ただそれだけの理由で巨大怪獣へと姿を変えてしまい、その後戻ることはないというのはとにかくかわいそうなのだが、実際に人類が怪獣被害にあったとしたら、そういう非道な現実が待っているということを示唆している。
そしてウルトラマンと同化した人間は、そんなに簡単にその能力を発揮して戦えるはずもなく、体の使い方の同調は手間取るだろうし、そもそも空を飛んだり破壊光線を出せるというのを肌感覚でとらえなければならないというのはなかなか無理難題もいいところである。
主人公はパイロットだったので、空を飛ぶという感じを喜びとともに会得しており、それまでのウルトラシリーズでは見たことのないような壮麗且つダイナックな空中戦が描かれていて目を見張った。
本映画では、テレビ版が持つ制約が一切取り払われていて、各描写に時間はたっぷりと使われているし、セットにもCGにもたっぷりとお金がかけられ、一切の妥協がない。
ウルトラマンの造形がまた見事で、よくもまあこんなかっこいいウルトラマンを一から作り出すことができたなと感心するしかない。
そして登場人物たちの焦燥感や絶望、そして希望といった感情が色濃く描き出されており、がっつりとその面白さとスケールの大きさ、高揚感を味合うことができる大変な良作、名作だと個人的には感じるのだが、それほど話題にはならなかったのが不思議でならない。

そして初見の時は全然意識していなかったのだが、後年放映されてドはまりした、異色のウルトラシリーズである「ウルトラマンネクサス」の、この映画が前日譚だったというのを後で知って鳥肌が立った。
やっぱり「俺はこれが好きじゃ~!」と理屈なく感じてしまったのには理由があったのかぁ、と得心がいったのである。
ウルトラマンネクサス」こそ、評価はあまり高くないが、おおきなお友達がハマる要素満載の大人向けウルトラマンで、もうとにかく大好きで何度も何度も見返している傑作なので、近日中にここで改めて取り上げたい。
そして「ULTRAMAN」も、また観返そうっと。

 

 

 

 

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019)

 テレビ放映していたのを観た。

モナークは怪獣の研究・保護を行う秘密組織。中国で巨大生物の繭を保護・監視していたモナーク支部は、環境テロリストに襲われる。そこには巨大生物を操る音波装置、オルカの開発者であるエマ・ラッセル博士と娘のマディが装置と一緒に攫われた。
モナークの幹部・芹沢は、エマと一緒にオルカを開発した、エマの夫でありマディの父親であるマークに助けを求める。マークは怪獣たちの抹殺を主張したが、共存を模索する芹沢たちと意見は合わない。
そんな中、キングギドラが目覚めたことで世界各地の怪獣たちが目覚め、世界は大混乱に陥るのだった・・・

正直に言うとストーリーはほんとにひどい。登場人物がちょっと抜けてる人だらけで、キーマンとなるラッセル夫妻、特にエマは支離滅裂もいいところで、まったく共感できない人物設定と話の展開だらけ。
モナークや軍の動き方なども説得力に欠けるし、渡辺謙扮する芹沢は本当にあそこで死ななきゃならなかったのかはなはだ疑問。っていうかアメリカ映画ってほんとに特攻とか自己犠牲とか好きだよなぁ。日本人は逆にトラウマっぽく感じて取り扱い禁止のようになっているけど。
ただ、ゴジラキングギドラモスラなどの怪獣たちの映像やアクションは非常に素晴らしくて、ああこの映画を作った人はこれを映像化したくてこの作品を作ったのだなぁと納得してしまった。
そういう視点からすると、ストーリーにこだわるのはやめて、映像美として本作を楽しむことができ、そこからは満足して観ることができた。スケールの大きな迫力と繊細な詳細描写が共存しており、モスラ降臨の際はちょっと感動して泣きそうになったほど。

ただなぁ。これで脚本が練られていたら本当に傑作になるのになぁ。庵野秀明の「シン・ゴジラ」が良作なのは、こういういい大人たちがいっぱい集まった時に何が起きてどんな行動をとるか、という点において一切の妥協がなく、実際にこういう怪獣災害が起こったら国はこう対応するだろうと思わせてくれるリアリティを極限まで突き詰めているからに他ならない。
日本のアニメや特撮が大人の視聴に耐えうるのはそういったリアリティのあくなき追及が一要因としてあるのは間違いなく、日本の作品をハリウッド化する際、どうしてもその点をはき違えたまま、ド迫力映像さえ見せればみんなハッピーだろ、といまだに決めつけているのがどうにも納得できない。というよりハリウッド側が、自分たちの持ち味や長所をそういうものだと決めつけているなあと常々思うのであった。

 

海外ブラックロード 危険度倍増版(2005 嵐よういち)

危険度の高い海外の町へバックパック旅行に行き、そこで見聞きしたことだけを書くというスタイルの旅行記的ノンフィクション。

ケニアのビーチ・モンバサでは路上で強盗に会い、リュックサックを奪われる際にウンコを漏らし、アメリカではビザがなくイミグレで捕まり刑務所へ入れられ、やばそうな男たちと同じ部屋にさせられ、中南米ではアジア人差別に会い、タクシーは降ろされホテルではチーノ(中国人)扱いで冷たくあしらわれ、ロンドンやニューヨークでは恐ろしげなゲイに執拗に付きまとわれる。
そもそもこの本の表紙の写真。眼光鋭く荒んだ黒人の若者たちが迫力満点すぎる・・・

この人、一体何が楽しくて世界を旅してまわっているのだろうか・・・

まあ、書いている内容が怖いことや危険なことばかりなのでそう見えてしまうだけで、実際は旅が好きなのだろうし、いろいろと楽しいことにもあっているからこそ、半ば職業的な旅人を続けていたのだと思われるが、それにしても恐ろしげなエピソードのオンパレード。
決して文章の表現や構成はうまいわけではなく、読みづらい点もあるのだが、それを帳消しにするのが、実際に自分で取材したことしか書いていないと思わせる臨場感。
逆にこれだけの迫力を伝聞や想像だけで書いていたらそれはそれですごいが、そうではなく実際に体験したことなんだなあと感じさせるイメージを沸かせてくれる。
そして、もちろんこれらの体験を自分では絶対にしたくないのだけど、それを創造の中で疑似体験したつもりになって、いっぱしの旅行者になった気分を味あわせてくれるのが心地よい。

海外旅行はリゾートばかりで、こういうストリートを目的に旅したことは一度もないのだけど、自由になる時間があったら、こんな危険なところはいかないにしろ、猥雑で人にあふれた異国の街の安宿に連泊しながらダラダラと時を過ごしてみたいと思ってしまうだけの魅力が本作にはある。

出版されたのは15年以上前なので、中に書かれているのはそのさらに数年前になる計算。だいぶ今現在とは様相を異にしていると思われるが、みんな安全で平準化したとはとても考えられないので、今でも刺激的な街たちなのだろうなぁ。

海外ブラックロード 危険度倍増版

海外ブラックロード 危険度倍増版

 

 

監督不行届(2005 安野モヨコ)

最初に読んだのはだいぶ前だが、 シンエヴァつながりで書いておく。何度も読み返しているし。

いわずとしれた庵野秀明の奥方であり漫画家の安野モヨコが、庵野秀明を描いたエッセイ漫画。
登場人物は「カントクくん」(庵野秀明)とロンパース安野モヨコ)。カントクくんはお菓子ばかり食べて、偏食しまくってご飯を食べない肥満体で、促さなければ風呂にも入らない。車の中では古いアニメ特撮ソングばかり聞いたり歌ったりしており、仮面ライダー555の子供用ライダーベルトのおもちゃが太い腹に巻けなくて妻に支えてもらいながら変身ポーズをキメるような救いようのないオタクだが、そんな彼の様子を大きな愛と少々のシニカルさで表現していくのが微笑ましく楽しい。
カントクくんと結婚したロンパースが、最初は夫の重度のオタクぶりに辟易しつつも、もともと自分の中にも持っていたオタク感性を刺激され、妻もまた立派なオタクになっていくという要素も含まれているのがよい。

安野モヨコと言えば「美人画報」に代表されるオサレな女性漫画のイメージだったので、なんでよりにもよって日本オタク四天王の一人(自称)のムサいおっさんと結婚したのか、ちょっと謎ではあったが、本作を見てなんとなくわかったような気がした。ウマがあうんだろうなぁ。

また、巻末の庵野秀明による解説がもうデレデレというかラブラブで読んでいる方が照れる。ただ、ここにさらっと「自分がエヴァでできなかったことを奥さんが実現している」的なことを書いており、そういうところかぁ、と勝手に納得してしまったのであった。
しかし同じ苗字の男女が結婚するのって、なんかいいよね。漢字違うけど。

これをあらかじめ読んだうえで「プロフェッショナル」を観るとバランスが取れてよいだろう。まあ興味があってアレを観た人はほぼもれなく本作を読んでいるとは思うが。

それにしても我が身を振り返るとカントクくんと似たようなことをチラホラしているなぁ。こんなにスケールでかくないけど。改めてCSM(大人向けのライダーベルト)が欲しくなってしまった。10本くらい。

監督不行届 (FEEL COMICS)

監督不行届 (FEEL COMICS)

 

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

 まだ上映中なので書こうか迷ったが、覚書として書いておく。
もちろん超人気シリーズなので、あらすじなどは省略し、思ったことだけ。
ネタバレ注意!これから観る人はスルー推奨。

旧劇場版のラストでは、「せっかくテレビシリーズがモヤモヤしまくりで終わったのを解消できると思ったのに、容赦のないアンハッピーさはなんなんだぁ!」と当たり散らしたいストレスが溜まっていたため、新劇場版ではその点をケアしてほしいと常々思っていた。

新劇の「序」「破」まではほぼ前作通りストーリーが進んでおり、このままいけば順当で想定通りの内容が見られると安心していたのだが、「Q」でものすごいことになってしまい、あ~、やっぱり庵野監督は庵野カントクであったと、一気に不安の渦へ叩き込まれたのも記憶に新しい。
そこからの「:||」というか「シン」なので、正直そんなに期待していなかった。
いや、もちろん想像もつかないものを見せてもらえる期待はしていたのだけど、前作までのストレスや葛藤をすべて解消するような気分爽快な内容ではないのであろうと諦めた部分が多かった、という意味で。

しかし、よい意味で裏切られた。
ネタバレ注意と言いつつ、まだ上映中なのでネタバレはしない。もちろんこう言うだけである意味ネタバレなので、注意を喚起したわけだが。
世の感想や批評を眺めていると、おおよそ二つの潮流があり、一つは「よくまとめてくれた」という好意的な目線だが、一方では「予想を裏切られる快感を得られるのがエヴァなのに、小さくまとめてくれたな」というネガティブな感想だった。
個人的には断然前者を支持する。
そもそも、テレビシリーズのエンディングには全く納得がいっていない。風呂敷を広げるだけ広げておいて、まったく回収せずに終わるというのはプロが紡ぎだす物語としては破綻しているからである。
もちろん、回収するかしないかなんてどうでもよくて、かっこいい概念やガジェットを絶妙な見せ方で繰り出してくることそれ自体がエヴァのよさだ、と言っている人も多かったし、だからこそ社会現象と言われるほど人気を博したのだろう。自分がオールドタイプであることも自覚しているが、だからこそ納得できなかった。
その解として期待したのが旧劇場版だったが、見事なまでのアンハッピーエンドとなってしまった。
何より主人公がほとんど活躍も成長もせず、大人たちの陰謀や思惑で振り回されるだけ振り回されて、ただエヴァに乗せられ、泣き叫んで終わるという無情感。
舌に金属スプーンを押し付けられたような、後味の悪いものを観てしまったというあの感じを、これぞ視聴者に媚びないエンタメの極致だと絶賛した人もいたが、僕には無理もいいところであった。
その時の挫折感を強く覚えているので、風呂敷を回収し、それぞれの登場人物に見せ場と結末を与えてくれ、なにより主人公のシンジが成長し、それなりにハッピーなエンディングを迎えさせてくれたということに敬意を表したい。
そしてその風呂敷の回収の仕方が非常に見事で、ああそっちから攻めていくのかという意外感と納得感が強かった。
特に黒幕というか敵サイドの置き方がよかった。お好きな人からすると一番ありがちで順当で、意外感も新しさもない置き方だったかもしれないが、ここで新しい概念をまた出されても気持ちがくじけてしまう。今まで出てきた話や考え方の中からきちんと説明しようとしているのに好感が持てた。
また、それぞれの主要登場人物が序→破→Qの中で成長し変わっていったことへのけじめというか、それぞれの成長の果てにある結末を、責任をもって回収している使命感のようなものがひしひしと伝わってきて胸が痛いほどだった。
正直言うと、最初(テレビシリーズのエンディング)からそうしてくれよ!と言いたいところだが、あの時はアレが精いっぱいだったのであろう。
NHK「プロフェッショナル」で庵野秀明およびスタッフたち(主にスタッフたち)がもがき苦しむ様子をつぶさに観た後の映画鑑賞だったので、もう過去を責めるのはやめよう、と素直に観ることができた。
そして、こんな超大作だとしても、そこには庵野監督の原体験であるとか、個人的な趣味嗜好が色濃く反映してしまうんだなあということを改めて感じた。
なぜ「プロフェッショナル」の取材を受けたのか、映画を観た後だととてもよくわかる。そしてあの番組の中にいっぱいちりばめられた映画へのオマージュやネタバレの数々。カントクやるなぁ。

映画ではなく番組の感想になってしまった感もあるが、本当にいい映画であった。
そして、エヴァ完結おめでとう。