観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

ザ・ファブル(2014 南勝久)

岡田准一・主演で実写映画化もされたコミック。

裏社会でその名をとどろかせた伝説の殺し屋、ファブル。彼は組織のボスに幼いころから殺しの技術を叩きこまれてきた、生粋の暗殺者であった。
しかし、彼が活躍しすぎたことでその正体が暴かれるのを恐れたボスは、ファブルおよびそのパートナーのヨウコに対し、「1年間大阪で一般人として暮らせ。その間殺しは一切禁止する」と申し渡した。

仮の名前「佐藤 明(アキラ)」「佐藤 洋子」の名を与えられ、組織となじみのあるヤクザ・真黒(まぐろ)組の庇護の元、二人で兄妹として暮らし始める。

アキラはインコを、ヨウコはハムスターを飼い始め、アキラは地元で就職もして、一般人として生活をし始めるが、お世話になった同僚のミサキが真黒組がらみの抗争に巻き込まれた時、それを助けるために立ち上がるのであった・・・

アキラはボスから殺しのテクニックだけでなく、サバイバル技術も叩き込まれており、普段からそれを実践しているので、真黒組から一般的な家を与えられても、それをどう使っていいのか持て余しているところがあり、その辺が妙にリアリティがありつつもユーモラスで、クスッと笑ってしまう。
例えば家の中では水を抜いて空にした風呂の中で素っ裸で寝ているし、ミサキと居酒屋に行ってもサンマの食べ方がよくわからず、頭から丸かじりしたりしている。
本人はものすごく真面目に一般人を実践しているのだが、真面目であればあるほどおかしい。
また、街の小さなデザイン会社で働くアキラが一所懸命書くイラストがヘタウマ系で笑いを誘う。
ヨウコはまだアキラに比べれば一般人的なふるまいをするのには長けているのだが、尋常ならざる戦闘力の持ち主であり、また大変な酒豪でもあるので、見た目の美人さ加減で近寄ってくるナンパ男を飲み勝負で撃沈させるのを何よりも楽しみにしている。

ただ、ストーリーはあくまでもハードで、真黒組の跡目問題に端を発する抗争では非常にあっけなく人の命が奪われていく。
アキラがボスの命令を遵守しようとしていても、周りではバンバン人が殺されており、アキラも人を殺さなければならない状況に追い込まれていくが、それを彼がどう判断して乗り切るか、というのが話の見どころの一つとなっている。
特に後半、同じ殺し屋組織の人間が絡んでくるとハードさが一層増し、警察の手の届かない裏社会でしか通用しない厳しいルールの下で各人が暗躍し、もがく姿が描かれており、日常的なのほほんとした生活をアキラが生真面目に守り抜こうとする姿と対比されていて興味深い。
ただ、アキラはこれらの人々の中でも群を抜いて格闘や殺しのスキルが高いため、ほぼほぼ勝負にならない。この手の作品では、たいてい拮抗する実力を持ったライバルが現れ、ぎりぎりの戦いをどう制するのかが見せ場となることが多いが、本作の主要テーマは戦闘そのものでは全くなく、アキラがどう生きていくかに主軸が置かれているが故の設定であろう。

ヒロイン的な立ち位置にあるミサキちゃんがかなりかわいく描かれており、定石通りのちにアキラに惚れるのだが、あまりアキラからデレることはなく、でも「守ってあげたい」的なことを言っているのがちょっともどかしい。
恋愛まで一般人と同じようにするところまではこの作品の中では描き切れなかったようで、そこが物足りない気がする。
ただ、先般始まったセカンドシーズンではがっつりやってくれそうなので期待している。

 

 

 

 

「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本 (2018 武田友紀)

 HSPについて日本人が書いた本。

もともとは「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」というエレイン・N.アーロンの本で取り上げられたHSPという概念が元ネタ。HSPとは、生来の性質として感受性が強く敏感な気質を持っている人という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」から来ている。

HSPが話題になった時に、まさに自分のことじゃないか、と我が意を得た人は多くいると思うが、僕もその一人。子供のころからどうして自分がこんなに細かいことが気になったり気にしたりし過ぎて困ったり疲れてしまうのか、嫌で仕方がないながらもどうしてやめられないのか不思議だったのだが、こうやって言語化してもらうと納得感が増す。

この本ではHSPに該当する人を「繊細さん」という柔らかい言い方に置き換えている。HSPという言い方だとまるで病気のように聞こえてしまうが、この性質は病気ではなく、生来の性格や性質のようなものであり、むしろ活用すればより人生が豊かになる、と前向きにとらえている。
この本の中で、12個以上当てはまるとあなたも繊細さんかも、という診断テスト的な項目が出てくるのだが、それより全然多い数が当てはまってしまい我ながら笑った・・・

一口にHSPと言っても、どんなものに敏感になってしまうかは人によってさまざまで、人の大声や悪意のある発言にビクビクしてしまう人もいれば、細かいことが気になりすぎて仕事が早く進められない、匂いが気になったり音が気になるなど、五感的な感覚の敏感さもあればメンタルの敏感さもあって千差万別。
そのため、同じHSPというくくり方をするのはむしろ難しいのではないかとすら思われる。
もちろんこの本はレッテル張りを目的としているのではなく、そうした敏感過ぎて日常生活で困っている人たちに対して、どのようにそれを受け止めてさらに受け流すか、という処方箋のようなハウツーを伝える方が主目的である。

ただ、こちらのハウツーはあまりピンとこなかった。例えば、人が機嫌が悪いのを、自分に何か落ち度があるからだと思ってビクビクしてしまう人に対して、実はあなたのことで機嫌が悪くなったのではないかもしれないのだから、聞き流してしまって大丈夫、というようなことを言っているのだが、そもそも自分のことで機嫌を悪くしていると確信する出来事があり、それがわかっているから相手からの評価が怖かったり相手に申し訳なくなってしまったりしてビクビクしてしまうのであって、そういう漠然としたことじゃないんだよな、とか。もちろん全員が納得するような内容にはそもそもなり得ないのだが、ちょっと期待してしまった分がそのまま期待外れだった感じ。

どちらかというと、繊細さんと非・繊細さんの感じ方の違いが非常にわかりやすくて「なるほど!」とポンと手を打ちたくなった。繊細さんは隅々の細かいところにまで目を行き届かせるし、むしろそうしないと気持ちが悪くて、ほぼ本能的・無意識にそれをやっているのだが、非・繊細さんはおおざっぱに要所要所しかチェックしないので、そもそも気になる箇所の絶対量が少ないのである。そう書くと非・繊細さんが鈍感なだけなように聞こえてしまうのだが、そうではなく、この刺激や情報の多い世の中で日常生活を送るためには、それくらいのメッシュの粗さでないとヤラレてしまうため、むしろちょうどいい。繊細さんの網目の細かさだと、何でもかんでも拾いすぎてしまってヤラレてしまうわけである。

もちろん繊細さんであるが故のメリットも指摘している。人に対して優しく、話を聞く力に長けており、相手の気持ちになって考えることができる。様々な芸術、味や香りをより深く楽しむことができる、など。
これは著者自身が繊細さんであり、それを生かして繊細さん専門のカウンセラーをやっているからこその提言であろう。
僕自身はメンタル系の繊細さんであり、感覚系は繊細どころか鈍感もいいところなので、レストランでコース料理を食べるよりはラーメン二郎で化調まみれのキツいやつをススる方が好きであるが、言いたいことはわかる。
僕自身、この性質で得してきたこともいっぱいあるのだ。もちろんもう変えられない性質なわけだから、末永くうまく付き合っていきたいものである。改めてそう思わせてくれた一冊だった。

 

ブレードランナー 2049(2017)

 言わずと知れた「ブレードランナー」の続編的な話。リメイクではなく、ブレードランナーの30年後を描いている。ネタバレしているので注意。

この未来では人間に使役するアンドロイド、レプリカントが4年間の寿命制限付きで製造されていたが、あまりにも人間に似すぎたレプリカントが逃亡・反乱を起こすなどの社会問題が勃発し、一時は製造が禁止されていた。しかし、ウォレス社が政府に掛け合い、安全で制限寿命のない、新型のレプリカントを製造するようになっていた。
旧型レプリカントはすべて廃棄処分になっていたはずだが、逃亡したものも多く存在し、それらの旧型レプリカントを探し出し抹殺する職業:ブレードランナーが誕生したのであった。
LA市警でブレードランナー稼業を担っている「K」は、捜査の中で、人間とレプリカントの関係において重大な秘密に触れる。それは社会全体の秩序を脅かすほどの事実であった。
その事実は、前作「ブレードランナー」で、デッカードと一緒に逃亡したレイチェルは、デッカードの子を妊娠し、出産時の合併症ではくなっていたということ。
当時の社会では、人間たちはレプリカントを使役しながらも差別・迫害し、レプリカント側では自分たちの登録情報を抹消・抹殺することで人間になり切ることを画策してテロ活動をするなど、あまりにも人間に近づきすぎたレプリカントと人間の間で、関係が緊迫していたが、それはレプリカントがあくまでも人造アンドロイドであり、それ自体が種となりえないことが前提となっている。レプリカントが子を産めるということであるならば、それ自体で種の存続が成り立つことになり、人類の大いなる脅威ということになる。
また、埋葬されたレイチェルの白骨から得られた手掛かりと、K自身が持つ記憶の符号が一致し、デッカードとレイチェルの子こそ自分なのではないかという思いが芽生える。
一方ウォレス社の社長であるウォレスも、これらの事実の報告を受けており、自らを生命創造の神に例えているウォレスは以前からレプリカントに生殖機能を与えようと試みていた。そのため、ウォレスにとってもレイチェルの存在は非常に興味深く、部下であるラヴにデッカードの子供を探すよう命じるのであった。
しかし、捜査を進めていく過程の中で、実は二人の子は全く別の女性であり、自分がただのレプリカントでしかない事実を突きつけられ、Kは慟哭するのであった・・・

前作を知る者にとっては、結構「ええっ!」と言ってしまうような新しい事実があれこれと出てくるので衝撃を受けるのだが、ストーリーがあまりにも淡々と進み起伏がないので、生あくびを噛み締めながら話の展開を追うことになる。
映像も非常に美しく芸術的なのだが、もはやこれくらいの映像美は当たり前な感じがしてしまって感動が薄れる。
すごくいい作品なのだが、どうしてこう「面白い!」という気にならないのだろうと不思議になってしまう。
それはとどのつまり、主人公であるKがひたすらお人好しで純朴で素直なので、流されるままに話が進んでいくだけで、本人の意思や成長がほとんど感じられないからである。面白いストーリーというのは登場人物の意識の変革や成長なしでは感じられないのだなぁとあらためて実感。
逆に前作のブレードランナーが面白いのは、もちろんカルト的な人気を誇り、のちのサイバーパンクのすべての基準となった斬新な世界観があったからであるのは言うまでもないのだが、主人公のデッカードがカッコ悪くも泥臭く生き延びて、半ば強引に惚れたレプリカントであるレイチェルと逃げ延びるという意思を示したからだと思う。
まあでも、映像はとてもよかった。それだけでももう一度見返してもいいかも。

 

トゥモロー・ウォー(2021)

 AMAZONオリジナルで現在配信されている映画。と言いつつ元々はパラマウント配給で一般公開される予定だったが、コロナで実現せず、アマゾンが放映権を買い取ったようだ。今プライムビデオを見ようとするとやたらとCMを流してくるので観てみた。以下ネタバレ注意。

2051年からやってきた未来の軍隊。彼らはタイムトラベル技術を開発し、30年後の未来から、未知の生命体たちの攻撃によって、30年後に人類が滅亡しかけていることを告げる。
彼らの技術により、30年後の未来との行き来が可能となったことから、未来の人類を救うため、現代の地球で徴兵が行われ、未来へ送り込まれていったが、その多くが還らぬ人となっていった。
高校の教師であるダン・フォレスターも徴兵された一人。一時は妻の願いで徴兵を逃れようと画策するが、愛する妻と娘のため、戦地に赴くことを決める。
腕にタイムトラベルを可能とするリングを装着させられ、ろくな訓練もないままワームホールにより未来の戦地へ送り込まれたダンは、未来の司令官からミッションを受けるのだった。
敵である「ホワイトスパイク」は巨大な爬虫類的なエイリアンで、素早い動きで猿のように立体的に動きつつ、尻尾から銃弾のようなものを飛ばして攻撃することができ、鋭い牙で人間を食らう。
多くの犠牲を出しながら逃げのびたダンと数人の仲間。野戦病院で治療を受けたダンの前に現れたのは、同じ姓を持つ若い女性の司令官だった・・・

映像はとにかくすごい。ホワイトスパイクは俊敏で狂暴、狡猾で非常に強く、人類の無力感がよく表されている。
戦闘シーンは大迫力で、手に汗握るアクションの連続。そのためだけに本作を見るのは十分アリだと思う。
ただ、脚本が・・・こういう映画って、脚本さえしっかりしていれば超大作と称えられるだけのポテンシャルを持っているのに、特にハリウッドの映画に顕著にみられる特徴だが、なんでこう脚本がグダグダなのだろう?
特にタイムトラベル系のSFは、タイムパラドックスを解決するための理屈や考察が不可欠なのだが、本作は最初からそう言う細かいこと突き詰めるのを考えていないようで矛盾だらけもいいところである。
過去に助けを呼びにタイムトラベルした時点で未来は大きく変わってしまうはずだし、それが目的で過去へ飛んでいるはずなのだが、なぜか未来は変わらず、ただの戦力供給元としてしか機能していない。
徴兵された人たちはろくな訓練も受けず、いきなり戦地に放り出され、「座標が狂った!?」などという説明的な司令部の無線通信と共に、本来は地上2~3mに飛ばされる予定だったのがビル上空に送り出され、たまたまプールに着水した運のいい人たち以外はみなぺしゃんこになって最初から死んでしまうというお粗末さ。
しかも到着早々「そこは絨毯爆撃される予定だから逃げろ」というひどい指示。司令部の無能さがあまりにもあんまりだ。
あまりその筋には詳しくないのでわからないのだが、昔プレステでやった「地球防衛軍」を思い出した。無茶な指令を出され、限られた貧弱な武器で、強大な昆虫モンスターと戦うアレである。あのゲームの世界観を映画にしたかったのだとやっと合点がいった。ゲームとして観るなら納得できる。あまり準備が整いすぎているとプレイが面白くないからね。なあるほど。
やたらとアンプルや薬品で解決しようとするのもバイオハザードっぽい。いろいろ盛り込んでるなぁ。
最後のオチも相当ひどい。ネタバレと言いつつ最後の大オチなので書くのを控えるが、人類滅亡の危機で、世界中の政府や研究機関が対策を練っているはずなのにこのオチに気がつかず、主人公の奥さんの思い付きと、オタク高校生の地学知識で解決してしまうというお手軽さが逆にウケた。
また、アマゾンのレビューで皆さんが仰っている韓国ゴリ押しについては確かに気になったが、これもどなたかが指摘されていた、これからプライムビデオを韓国で拡販していくアマゾンの意思であろう。これはしょうがないやね。
そして、他のところでも書いたが、アメリカ人ってほんとに特攻というか自己犠牲的なのが好きだなぁ。愛国心の発露であろうか。なにかそこにカタルシスを得ている感が強く表れている。日本だと問題になりそう。ポリコレについては非常にデリケートなのに、こういうことには大味なのも特徴的だなあと思う。

トゥモロー・ウォー

トゥモロー・ウォー

  • クリス・プラット
Amazon

 

連帯惑星ピザンの危機 クラッシャージョウ・シリーズ (1977 高千穂遥)

 中高生の頃、夢中になって読んだシリーズ第一作にして、作者である高千穂遥のデビュー作。

22世紀、人類はその版図を宇宙へと伸ばしていた。数多の惑星にテラフォーミング(惑星を人が住めるような環境に改造すること)が行われ、人類が移民していき、8000にも及ぶ独立国家による銀河連合を形成していた。
新しい国が次々と作られる際に重用されたのが何でも屋である「クラッシャー」。かれらは宇宙船を駆り、チームで依頼を引き受けて、惑星改造からトラブルシューターまで何でもこなす宇宙の荒くれ者である。
その中でもトップクラスの実力を持つクラッシャー・ジョウとそのチームは、反乱の起こった惑星ピザンの王女から依頼を引き受けて向かうことになった・・・

この「クラッシャー」という概念がとにかくかっこいい。自分の宇宙船を持ち、そこで生活しながら、何でも屋として宇宙をまたにかけて疾駆する。元々はテラフォーミングが主な仕事で、それがもとで壊し屋=クラッシャーと呼ばれるようになったが、危険な宇宙空間で様々な作業を行う、各分野の高度な専門知識を身に着けた宇宙のエリート集団であるとも言える。
ジョウの父親であるクラッシャー・ダンがこの「クラッシャー」という概念を創出し、現在は引退してクラッシャー評議会の議長である。ジョウは反発しているが、いくつかのエピソードではダンの手の平の上で転がされている様子が垣間見える。

クラッシャーは「クラッシュジャケット」という制服のようなスーツを身に着けている。各メンバーごとに色違いを着ていて視認性を高めている。ヘルメットをかぶれば簡易宇宙服になる気密性を保ち、防弾耐熱など耐衝撃性能が高く、胸のボタンは引きちぎって投げれば閃光弾になったりと様々なギミックが隠されているあたりが非常にワクワクさせる。また、胸についている流星のマークがクラッシャーのシンボルとされている。
ジョウたちの宇宙船は飛行機型で大気圏航行能力があり、戦闘力もあるミネルヴァ号。普段は船内で生活しており、依頼を受けるとそのまま飛び立っていく。

クラッシャーは多くのチームが存在しているが、ジョウのチームはその中でもトップクラスのレベルである。ジョウはまだ19歳なのだが、まだ幼児の頃から父ダンの仕事を手伝っており、クラッシャーの仕事に習熟したという設定。頭文字Dみたいだ。もちろんそっちの方が後の作品だが。

そして表紙の安彦良和の絵がとにかくかっこいい。今でこそラノベと言えば小説以上に絵師の力で売れ行きが左右されるのが当たり前の世の中になったが、絵で見せる小説の先駆と言えるであろう。

中高生の頃にこのシリーズをむさぼるように読んでいたが、当時はまだライトノベルという呼称がなく、ジュブナイル小説と言っていた。その中でも群を抜いたカッコよさで厨二心をくすぐったものだった。
高千穂遥のもう一つのシリーズであるダーティーペアは、このクラッシャーの時代より少し前の時代で、まだ宇宙がフロンティアだったころを描いているのだが、「ドルロイの嵐」で、ダーティーペアのエージェント、ケイとユリが、クラッシャーダンのチームと共闘する様子が描かれており、非常に胸熱であった。
当時はソノラマ文庫で読んでいたのを覚えているが、11巻以降はハヤカワ文庫で続刊。まだ全部読んでいないので、読みつつ順次別巻もここで取り上げていきたい。

 

愛と青春の旅だち(1982)

 最近初めて観た。以下ネタバレ注意。

父に失望して自殺した母、自分を引き取ったが水兵で自堕落な父。そんな環境で屈折した少年時代を送ったザックは、パイロットを目指し士官学校へ入隊する。
そこではフォーリー軍曹が人格を否定するかのごとく強烈なシゴキを与える過酷な訓練の日々だった。協調性のないザックは特に軍曹から目を付けられ、激しいシゴキに会う。
4週間後、地域の住民との交流パーティーへの参加を認められたザックたちは、そこで製紙工場で働く若い女工たちと知り合う。同部屋のシドはリネットと、ザックはポーラとカップルになり、デートを繰り返すようになる。
女工たちは士官との結婚を夢見ており、士官たちはひと時の遊び相手として女工たちと付き合う、そんな関係だったはずだが、ザックとポーラ、シドとリネットは次第に深く愛し合うようになっていく。
そんな中、リネットが妊娠した時かされたシドはDOR(任意除隊)を申請し、リネットを迎えに行くが、リネットは「士官以外との結婚は考えられない」と拒絶、シドは自殺してしまう。
シドのDORを受け付けたフォーリー軍曹にザックが挑戦し、二人は壮絶な殴り合いを繰り広げる。
そして訓練が終了し、少尉に任命されたザックたち。卒業式の後、ザックは製紙工場へ赴き、ポーラを抱き上げるのだった。

前から映画の存在は知っていたのだが、ご覧の通りのクサいタイトルに引いており、観る気がしなかった。たまたまAMAZONで無料だったので観たのだが、これは恋愛映画というよりは一人の少年が男になるまでの成長話としての意味合いが強く、骨太で見ごたえのある作品だった。
リチャード・ギアがとにかく若い。当たり前だけど。こういうヤングアダルトな役者だったんだなぁ。プリティ・ウーマンの印象しかないもんだから、彼にも若いころがあったということがなかなか頭に入ってこないのだが。

特にリチャード・ギアのザックと、教官であるフォーリー軍曹との関係、そして遊び相手だったはずが真剣な愛に変わっていくポーラとの関係が変化していく様がとてもよく描かれていた。
あれだけ罵倒の限りをしつくしていたフォーリーが最後上官となったザックたちに敬語で話すアレ、まあ有名なシーンだけれども、映画を一本観た最後にあれが来るとグッとくる。フォーリーのシゴキもすべて仕事として全うしただけであり、彼なりの敬意とプロ意識がなせるシゴキだったということが感じ取れる。
ただ士官をひっかけたい女性と思われたポーラが、いろいろな家庭の背景があり、ポーラなりの真剣な恋の相手がザックであったわけだし、若くて未熟なザックがそれを受け止めきれずにすれ違っていくあたりはよくある話だけれども、最後しっかりとザックがそれを回収して終わったのは気持ちよかった。

しかし訓練の時のジョギング中に歌うやつ、他の映画でも見たような気がするが、アメリカの軍隊では定番なのだろうか。息が切れてハアハア言っている時にさらに歌わされるのは相当きつそう。まあ、それも含めて訓練なのだろうけど。

 

 

 

スーパーカブ(アニメ2021、コミック2018、小説2016)

小説とコミックは読んでないので、アニメの感想だけ。

父親は幼い時に死別、母親は書置きを残して失踪しており、頼るべき親族や知己もいない天涯孤独な身の上の女子高生、小熊(こぐま)。
彼女は山梨県北杜市の集合住宅に、奨学金を得て一人住まいしており、友達もおらず、趣味もなく、節約をしながら日々をたんたんと過ごしていたが、通学の自転車をこぐのが大変で、ある時ふと思い立ちバイクショップへ行き、そこで激安な曰く付き(3人ほど人を殺している、等)のスーパーカブを購入する。
それが縁でクラスに礼子という友達ができたことで、世界が開けていく。

しかし小熊ってすごい名前だな。苗字は伏せられていてファーストネームということらしいのだが、女の子で小熊ってなぁ。いじめられていないようでよかった。
彼女は毎日お弁当として、炊いたご飯だけ弁当箱に詰め、それにレトルトの丼ものやカレーなどを常温でかけて一人ぼっちで食べるというなかなか壮絶なボッチ飯を学校で食べていて、おっさん世代からするとそれだけでもかなりワイルドだなぁと感心してしまうのだが、今どき当たり前なのだろうか?
最初は地味で引っ込み思案でクラスメートにもなかなか話しかけられない遠慮がちな女の子なのかな?と思いながら観ていたのだが、実はそうではなく、ただ自分のこだわりが強すぎるが故に、相手にそれを強制するのを潔しとしていないだけということが分かった。実際、礼子と仲良くなると、マイペースでずぼらな礼子に対してビシビシと厳しいことを言いまくっており、礼子もそれをよしとしているのが相性が良くてよい感じである。実際の人間関係ではここまでツーカーになれるものではないので、うらやましくもよく描いているなぁと感心する。
後から出てくる椎ちゃんの方がステロタイプな性格設定かもしれない。小柄でかわいくて奥ゆかしくて礼儀正しいが、遠慮して自分のやりたいことや言いたいことがなかなか表現できない系で、小熊と礼子の強い結びつきに対して寄り添うような形で人間関係に華を添えている。

それにしても女子高生をスーパーカブに乗せるというのが、とうとうここまで来たかという感じ。女子高生におっさんの好きな趣味をやらせるというのがここ数年のアニメやコミックの風潮で、バイク、キャンプ、釣り、登山、天文などなど枚挙に暇がないが、本作もそれに加わった形である。実際におっさんがフィールドに出ても、女子高生と遭遇することはまずないのだけど・・・
小熊はただカブを乗り回すだけではなく、礼子の力を借りつつカスタマイズしていき、ボアアップして原付二種にしたりといろいろ手を加えているのがおっさんホイホイでよい。スパイクタイヤで雪道を走り回ったりとか。やるなぁ。

小熊役の声優である夜道雪はコスプレイヤーでYoutuber。小柄なのに高級な大型バイクを乗りこなす動画がハラハラしつつも見ごたえがあって、前から時々見ていたのだが、そうかこの人かと納得したのを覚えている。

でも、さすがに現実の女子高生はカブじゃなくてYAHAMA Vino(ビーノ)に乗るよなぁ。それが現実よ。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B091PSP952/ref=atv_hm_hom_1_c_OH5bTm_brws_2_24