観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

ロング・トレイル!(2015)

アマプラで観た映画。

紀行文の作家である70代の男性ビル・ブライソンは、現在は故郷であるアメリカに帰っていたが、何か刺激のない毎日に物足りなさを覚えていた。
ある日、近所を散歩していると、アメリカを代表する長距離遊歩道「アパラチアン・トレイル」を見かけ、それを走破したいという思いが日に日に強くなっていく。
妻のキャサリンは、ビルが老齢であることから誰か一人一緒についていく人がいることを条件に旅立ちを許可する。
ビルは様々な友人に声をかけたが片っ端から断られ、一人だけ乗ってくれたのが40年前にケンカ別れをして以来音信不通のカッツだった。
旅の直前にカッツと再会したビルは、カッツが予想以上に老いており、膝に故障も抱えていたことに憂慮するが、意に介さないカッツは元気いっぱいで、二人はトレイルへと旅立っていく。
開始早々、お節介でお喋りで口の悪い女性トレイラーに粘着されて逃げだしたり、クマに襲われてテントを大きく広げて追っ払ったり、時にはモーテルでちょっとしたロマンスがあったりといろいろな事件が起きるが、二人は旅を続けていく・・・

序盤で出てくるお節介な女性トレイラーみたいな人、ほんとに身の周りでもよく見かける「あるある」だと思うが、アメリカでも普通にいるんだなぁ。
そしてそういう人を表立って拒絶はできず、こっそりと距離を遠ざけようと紳士的に対応するのも日本と変わらない。アメリカ人はこういうのはもっと直接的にビシッと言い渡すのだと思っていたが、そうではないことにクスっとなった。
中盤でグリズリー(灰色熊)に襲われそうになるシーンがあるが、あんなテントを持ち上げて見かけを大きくして脅したら熊は退散するのだろうか。
実際にやったら逆に攻撃されてビリビリにされそうな気もするが、なんにしてもあんな熊が出てくるところではキャンプしたくない。
といっても北海道のキャンプ場では普通にヒグマが出るらしいし、危険生物は意外と身近なところにいるのかもしれない。

自分が50代ということもあって、老いに対する抵抗や、逆に受け入れること、そして老齢であるが故の自分のプライドと他者との付き合い方など、身に染みるテーマが多い。
特に真面目一徹で生きてきたビルの融通の利かなさは相通じるものがあり、自分自身でも身動きが取れないような自縄自縛感があって身につまされる。
それでも、チャレンジはした方がいい。生きることは変化を受け入れることであり、それができない生はつまらない、ということを示唆していると感じた。
まあ、それもわかるんだけど、でも変化を受け入れるのは苦痛でもある。
そんなことを言っているからどんどん老いてしまうのだが・・・変わりたくない自分に向き合うのはなかなかキツいよなぁ。
でもちょっとだけ頑張っていこう。そう思えた映画であった。

 

いのちの車窓から(2017 星野源)

ダ・ヴィンチで連載中のエッセイの書籍化。

これまで数冊の星野源エッセイを読んだ中で、一番今の星野源というか、スターになってからの星野源の様子が垣間見れた気がする。
もちろん元々の陰キャで卑屈で遠慮がちな性格も垣間見えるのだが、直接的には語られないにせよ、不屈の闘志とあくなき好奇心、そして一つのことをやり続ける執着心が発揮された結果としてアーティスト・俳優として成功された様子がわかる。
本作では特定の人物について語られていることが多いが、もちろんのことながらそれらの方々も、大泉洋笑福亭鶴瓶細野晴臣・吉田羊・ハマ-オカモト、そして新垣結衣等などの功をなされた有名人である。
彼らが如何にスターかではなく、等身大の人間としての魅力を語っており、非常に親しみが持てるものの、「ああ、源さんもスターと対等にお付き合いするスターになられたのですね」という「遠くへ行ってしまった感」も若干感じる。
でもこれだけ死に物狂いで努力して、病気を乗り越えてさらに頑張っているのだから、もちろんスターになってほしいし、成功してよかった。
個人的には、Twitterで裏垢を作って友達を作る話がよかった。
本エッセイ以外でも触れられているが、星野源は人が好きすぎが高じて人見知りを装っていたというくらいなので、本来こういうコミュニケーションは得意なのだろうなぁ。
正直、実社会でもこんなにうまく友達を作れたことがないので勉強になった。このエッセイの論点はそういう趣旨ではないのだろうけど・・・

そしてこの後に新垣結衣と結婚するという流れがすごすぎる・・・一介のおっさんが語っても仕方ない話なので野暮は言うまい。お幸せに!

 

 

 

ジェレミー・クラークソン 農家になる(2021)

プライムビデオオリジナルで、第2シーズンが終わったので記念に感想を書く。

BBCの「トップギア」という番組がある。そもそもは車紹介の番組だったが、ジェレミー・クラークソンがMCとして参加し、更にジェームズ・メイ、リチャード・ハモンドが加わってからはすっかり「車をやたらめったらひどい言葉でこき下ろし、ごくたまに褒める」という車レビューと、高価な車を惜しげもなく使い倒してバカな企画を行うバラエティとしてすっかり定着し、世界中で楽しまれるビッグコンテンツとなった。
ただ、ジェレミーが制作側と揉めて、3人とも番組を降板。別の人がMCを引き継いだが番組はあっという間に終了した。後任MC版の番組を一度だけ観たが(そのうちの一人がよく観ていた「フレンズ」のジョーイの人(マット・ルブランク)だったので)、残念ながら「いい人がやっている車番組」になってしまっており、以前の面白さとは無縁となっていた。

ジェレミー、ジェームズ、リチャードは丸ごとAmazonが抱え上げて、「グランドツアー」というトップギア丸パクリ(タイトルからして頭文字を逆にしている(TG→GT))のアマプラオリジナルバラエティが始まり、またえげつないほど金のかかった企画ばかりやっていることもあって人気を博している。

そのジェレミーがイギリスの名勝地コッツウォルズで売りに出されていた農地を買い、自分で農業を始めてみた、というのが本コンテンツ。


もちろん一人でコツコツと家庭菜園などやる気はなく、人を何人も召し抱えて、ものすごくデカい重機を導入し、広大な敷地を耕していく。
初期のころはいろんなことに手を出してはうまくいかずにやめる、という体を取っていたが、後半になるとそれらの伏線が回収されて行き、広大な農園を管理しつつその経営に悩みまくる新米農園主としての一面が見えてきて観ごたえがあった。
最初はどうしても金持ち芸能人が趣味道楽で始めたように見えてしまうのだが、この農園にかかわるスタッフたちがみな個性的で、彼らとジェレミーがコミュニケーションし始めてからは俄然面白くなった。
特に農業全般を指導しているケイレブは、まだ20代前半なのにベテランで、ジェレミーを「仕事のできない素人」として対等に扱っているのが面白い。
日本であれば、仮に仕事ができなくても年上というだけで敬うことが多いが、そういう年功序列だったり年上を敬う的な文化は一切ないのがよくわかる。
ジェレミーも「俺は売れっ子芸能人なんだからもっと尊敬しろ」的なことは一切言わず、ケイレブの言うことには従順に従いつつ、ケイレブが一般常識的な知識がないと「え?知らないの?」と意地悪くも丁寧に説明したりと、仲良くやっている様子がとても微笑ましくてよい。
また、ジェラルドという老人は訛りがきつすぎて何を言っているのかさっぱりわからない。ジェレミーはほとんど理解していないし、字幕すら出てこないのでスタッフ側もわかっていないと思われるが、それでもなんとなく話をして一緒に仕事をしているのが楽しくおかしい。
人間の背丈より大きなタイヤを付けた数千万円のトラクターを衝動買いして使ってみたりと、アマプラオリジナルらしくかなり金がかかっているが、全体を通したテーマは「ガチで農業をやったら収支はどうなるか」であり、どこまでがバラエティでどこまでがドキュメンタリーなのか判然としない部分もある。
その辺をあまり突き詰めずに楽しむのが大人のたしなみというところだろう。

第1シーズンでは、1年やってみたジェレミーが継続するか悩みつつ「もう1年」と決断したところで終わるが、第2シーズンではもうすっかり農場主としての責任と自覚が芽生え、サステナブルな仕事として取り組んでいるように見えるのが頼もしい。
更には地域住民との軋轢も細かく取り上げられていて、いったいどこまでちゃんと許可取りがされていて、どの辺がキャストによる台本なのかがよくわからない。全部ガチだったらそもそもアマプラで流せないと思うのだが、イギリスの奥に事情もよく分からないのでその辺はそっとしておこう。
ただ、農産物や農園のキャラクターが販売されているネットショップは実在していて日本からも買えるので、その点だけは真実であることがわかる。結構頑張っているな~と思った。
続編が出たら観るぞ~。

 

収穫

収穫

Amazon

 

仮面ライダー龍騎20周年記念同窓会トークイベント

本当にイベントにはぜひ行きたかったのだが全くチケットが取れず。
あとで聞いたら3分で完売したとな。そりゃそうだよなぁ。
先日開始された配信を早速視聴。
胸が、胸が熱すぎる。何度泣きそうになったことか。歳をとると涙腺が緩んで仕方がないのだが、それを差し引いたとしても感慨深すぎて感情失禁に陥りそうになることがしばしばであった。

ただ好きなだけで、マニアやオタクと名乗るのはおこがましくてはばかられるのだが、平成第一期のライダーが好きである。
その中でも三作目である「仮面ライダー龍騎」は非常に特殊で、13人のライダーが殺し合い、最後の一人になるまで戦い続けるという、「正義の味方」「勧善懲悪」のアンチテーゼにもほどがある設定。
※詳しくは以前下記に書いたのでよろしければご参照ください。
仮面ライダー龍騎(2002) - 観たり読んだり備忘録

当時の風潮として、一作目「クウガ」、二作目「アギト」及び同時期に放映されていたスーパー戦隊の「イケメンヒーロー」ブームがあり、それならイケメンを13人出せばいいんでないか、という「流れ」に乗っかっちゃった分はあるにせよ、それでもストーリーに大きな破綻をきたすことなくこれだけ大人数の(実際には13人というカウントはちと異なるのだが)ライダーを取りまわして、テレビシリーズ、劇場版、テレビスペシャルという3つのコンテンツを成立させた偉業がこうして後世に語り継がれているわけである。

そして、今回20周年の節目で、これだけの人数の役者さんが集まって、当時の様子を熱く楽しく真剣に語ってくれる、こんな企画は今までありそうでなかった。
よくあるのは3人から5人くらいのキャストが、ブルーレイ発売記念の特典映像や、リバイバル劇場版のYoutube配信などで、インタビュアーに促されたりしながら数十分お話しするパターンだが、お客さんを何百人も入れたシアターGロッソで、キャストが横一列にずらっと10人並んで3時間近くひたすら愛のこもったトークをしてくれるというシチュエーションはなかなかなく、ご褒美以外の何物でもない。
また、ここ数年龍騎が新作で登場するシーンが多く(ジオウのテレビ版とRIDER TIME、先日の劇場版ギーツvsリバイス、配信限定の仮面ライダーアウトサイダーズなど)、龍騎:須賀貴匡さん・ナイト:松田悟志さん・王蛇:萩野さんのメディアやSNSへの露出が多かったこともあり、このお三方の安定したトーク取り回しスキルが場を大いに盛り上げていた。
特に萩野さんは、昔からこうなのか最近こうなったのかは存じ上げないが、お茶目でかわいい面白おじさまキャラが定着しており、常に笑いを振りまいていたのが印象的だった。

当時のエピソードもとても興味深く面白いのだが、それ以上にそれぞれのキャストが20年の間、なんらかの形で人生を歩み続けて今日に至り、それを背負ってこのイベントに参加しているのに胸が熱くなる。自分自身がおっさんとして、まあそんな大した内容ではないにせよそれなりに人生経験を経てきたこともあって、それを投影して観てしまうので余計に泣けてしまう構図である。
本イベントは、そもそもはライア:高野八誠さんが「何かできないかな」と言い出したのが発端とのことだが、思いついていただき本当にありがとうございます。
もちろんそれを支援した松田さんや、鈴村さんをはじめとするスタッフの方々にも御礼申し上げたい。
本当に観られてよかった。次は30周年?という声もあったが、せめて25周年くらいでまたやってほしいな~!
www.kamen-rider-official.com

同志少女よ、敵を撃て(2021 逢坂冬馬)

今年に入ってからAmazon Audibleを聴き始めた。
デブ防止のために毎日行っている散歩の時、ただ黙々と歩くのに飽きてしまうので、最初は音楽を聴いていた。
が、それもあっという間に飽き、次にオードリーのオールナイトニッポンRadikoのタイムフリーやPCで録音したりして聴いていたのだがすぐにネタがつきた。
他のサブスクもいろいろ検討して、その中でも月額が高いAudibleを正直選択したくなかったのだが、聴きたいコンテンツが一番多かったので仕方がない。
その中でも本作はいずれ小説を読もうと思っていたところにAudibleの定額読み放題で聴取可能だったので飛びついた。
それにしても表紙の絵とタイトルでガルパンみたいな話だと勝手に思っていたが全く違った・・・

1942年、ナチ・ドイツとの戦争が激化するロシアの農村で、母親エカチェリーナから猟銃の使い方を教わりながらひっそりと暮らしていたセラフィマ。ドイツ軍が村へやってきて母をはじめ村人を次々に殺し始め、セラフィマも射殺される寸前だったが、ロシア赤軍の助けが入り一人だけ生き延びる。
そして赤軍の女兵士イリーナに問われ、狙撃兵として入隊することを決意する。
ロシア各地から集められた狙撃兵候補の多くの少女たちは、イリーナ教官の元、訓練を続けたが、その厳しさのあまり、いつしか人数は減っていき、セラフィマを含め数人を残すのみとなった。
訓練が終わった後、少女狙撃兵たちはそのままイリーナの配下に入り、戦争の重要拠点となるスターリングラードへと赴くが・・・

あまりにもタイミングが良すぎて、何かのプロパガンダなのかと最初は錯覚したのだが、2021年のアガサ・クリスティー賞を受賞しデビューとのことなので、そうではないということだろう。それにしてもというシンクロニシティ
第二次世界大戦における独ソの戦争についてはほとんど知識がないので(世界史の成績も悪かった)、本作の内容がどれくらいよく調べられていて史実に基づいているのかはよく理解できていない。申し訳ないです。
ただ、フィクションとしてのリアリティは非常に高い。厳しい軍における活動や日常、そして日々追い詰められていきながらも国や家族のために身を粉にする兵士たちの様子が描かれており、その描写に一切の妥協がない。登場人物たちも歯を食いしばっているが、読んでいるこちらも相当歯をギリギリと言わせることを要求され、読むだけで体に力が入って激しく疲労する。
それは主人公のセラフィマを始めとする兵士たちが、皆兵士である前は日常生活を謳歌していた一般人であり、家族や友人を殺され、悲しみと怒りを仕方なく戦闘への力に変換して戦っていく、そのやるせなさがこれでもかと言わんばかりに入念に表現されているからである。
また、女性が兵士となることは、少なくとも当時は様々な抵抗や差別やハラスメントを当たり前のように受けるということであり、その葛藤とも戦わなければならない。
もちろんのことながら少女であるセラフィマは、それぞれのエピソードに傷つき、苦しみ、悩み続けるのだが、その過程の中でも狙撃兵として成長・熟達していく、軍や戦争になじんで行ってしまう様が逆に残酷で心に沁みる。

それはそれとして、イリーナとの関係がまんま「エースをねらえ!」だなぁ、と思った。最初は厳しくて理不尽で鬼のような存在として忌み嫌っていたコーチだが・・・的な。
なにか懐かしい関係性をまた見せてもらったような。
正直に言うと終盤のストーリー展開はかなりかっとび過ぎていて、ついていけないところもあったが、物語としてただの疑似ノンフィクションにするわけにはいかなかっただろうからなぁ。

それにしてもナレーションの青木 瑠璃子さんがとてもよかった。聞きやすいし演じ分けも見事だし、ストレスなく最後まで聞くことができた。
このクオリティが揃っているなら、しばらくAudible使ってみよう、と思った。

 

トロイ(2004)

古代ギリシアトロイア戦争を描いた大作映画。封切当時やたらとCMが流れていたのを思い出す。

スパルタとトロイの間で和平が結ばれた。
しかし締結当日、トロイの王子パリスは、スパルタ王の妃であるヘレンと電撃的に恋に落ちてしまい、彼女をトロイへ連れ帰ってしまう。
そのことを知ったパリスの兄・ヘクトル王子と、彼らの父であるトロイ王プリアモスは天を仰ぐが、パリスとヘレンを受け入れ、国家として彼らを守ろうとする。
当然スパルタ王メネラオスは激怒し、兄であるミュケナイアガメムノンに助力を乞う。アガメムノンはトロイを征服する好機とみてギリシア連合軍を率い、トロイを滅ぼすための戦争を開始する。
一方、アガメムノンの配下には英雄アキレスがいたが、彼は王に批判的で言うことを聞かない。この戦争も参加するつもりはなかったが、親友オデュッセウスに乞われて参戦を決意、侵攻当日は一騎当千の部下たちと真っ先にトロイへ上陸し、アポロン神殿へ乗り込み、巫女プリセウスを捕虜とする。彼女はアキレスに反抗的であり、逆に彼の興味を引いたが、アガメムノンは言うことを聞かないアキレスに対する制裁としてプリセウスを取り上げ、兵士たちへ慰み物として与えてしまい、アキレスの怒りを買う。
トロイ王子パリスは戦争を終わらせるため、メネラオスと一騎打ちを行うが、終始圧倒され、兄へ助けを乞う。
一騎打ちの助太刀はルール違反だが、弟に甘いヘクトルはメネラオスを殺す。激怒したアガメムノンは侵攻を再開するがトロイ軍に阻まれる。
戦争への参加をやめたことで批判が高まったアキレスの状況を見かね、戦争に同行していた従弟のパトロクルスがアキレスの甲冑を着込んで戦闘に出撃、しかしヘクトルに倒される。それに怒ったアキレスはヘクトルと戦って勝利するが、なお怒りは収まらず、ヘクトルの死体を戦車で引き回して自軍へ持ち帰ってしまう。
その夜、闇夜に紛れてトロイ王プリアモスがアキレスを訪ねてきて、彼の手にキスするのだった。こんな屈辱にも耐えたのだから息子の遺体を返してほしいと・・・
プリアモスの愛情に打たれたアキレスはこれを了承し、プリアモスともどもトロイへ送り届ける。
これは勝てないと感じていたギリシア軍は撤退の準備を開始していたが、兵士が作っていた子供への土産の木彫りを観たオデュッセウスが、ある作戦を思いつく・・・

Wikiで見てなるほどと思ったが、そもそもはホメロス叙事詩イリアス」が原案でありつつ、イリアスは神様が出てきたり超人が出てきたりする神話的なお話として書かれているのに対して、本作はあくまでも普通の人間たちが織り成す戦争群像劇として描かれている。
個人的には神様や超人が闊歩する版も観てみたいと思ったが、ただでさえスケールが大きすぎて大変なお金がかかっているわけで、これ以上膨らませたら実現不可能な規模になってしまうことを考えると妥当なところかもしれない。
イリアスとは筋書きが違うところも多くだいぶ批判されたようだが、よくこの時間にまとめたと素直に感心する。
それはそれとして、パリスがバカすぎて頭にくる。お前が、お前がすべて悪いんじゃ~!
オーランド・ブルームが「イケメンだけど愚かで弱くて情けない王子」を好演していて、彼の演技力のおかげで観客は遠慮なくパリスを罵倒することができる。
そしてパトロクルス、君もだ。それがなければもうちょっと丸く収まっていたのになぁと言わざるを得ない。
ただ、これらの人間臭い振る舞いが、ストーリーをより共感しやすく幅の広い展開へ導いているのは確かでもある。
その最たるものが木馬のエピソードで、「いや、そうはならんだろ」と全員がツッコミを入れたくなる、でもワクワクするお話である。
いやあ、でも普通確かめるよなぁ・・・それは言わないお約束。

 

そして生活は続く(2009 星野源)

2013年版の文庫版で読んだが、元は2009年。「よみがえる変態」と一緒に読んだ。
こちらが初のエッセイ集とのことで、またしても観る順番を間違えた。こっちから読むべきだったが、致し方なし。

日々の生活がとても苦手でつまらなくて、でもそれを面白がれたら楽しくなるのではという趣旨でエッセイが綴られているが、日常生活なんてそんなに客観的に面白いことが転がっていないことは読んでいる全員が常日頃から感じていることだろう。
それを見る角度や切り口で面白く料理していくわけだが、そこに「なんで自分はこんなことができないのだろう?」という、ともすると後ろ向きな自虐になりそうなエッセンスを加え、それを茶化して表現したりメリハリの利いたストーリーを描く技術力が加わることで読みやすい内容になっている。
つまり初エッセイと言いつつ才能の発露である。やっぱり星野源ってすごい。
個人的に、こういう感じの自分を茶化すことで日常会話や雑談を盛り上げるのが本当に苦手である。
そもそもおっさんは自慢話と説教と昔話が大好きで、スタート地点が対極にあるので道のりは遠い。
いい歳になった今現在でもそのような気の利いたことができないものか、試行錯誤な毎日なのだが、星野源には同じ匂いを感じて共感を覚える。
コンプレックスを持っていて、周りよりもうまくいかない挫折感を感じている、いわゆる陰キャな若者として、自分も世の中に埋没する一市民ではなく、特別な何者かになりたくて、いろいろ試したりやったりしたが、そううまくいくわけもなく、自分なりに折り合いをつけて社会人になっていったのを思い出した。
それに抗うことに成功し、今もなお抗い続ける男。すばらごい。