観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

聖闘士星矢(1985)

 あまりにもビッグコンテンツ過ぎるので、こんなところで取り上げるのもどうかとは思うが、すごく好きだったので敢えて軽い感じで取り上げる。
また、コミックもアニメも好きだったので両方ごちゃまぜで。

コミックは少年ジャンプでリアルタイムで見ていた。ちょうど小学生から中学生になる頃かな。そしてアニメは高校生の時だったが、もう普通であればアニメなんぞは興味がなくなる年ごろであり、自分がオタクであり一生こういうのから卒業できないんだな、ということを自覚して観た最初のアニメであったことをよく覚えている。

この世に邪悪がはびこる時、聖闘士(セイント)が現れる。聖闘士とは神話時代に女神アテナに仕えた戦士であり、人体が内包する小宇宙(コスモ)を爆発させることで超人的なパワーを行使する。武器を嫌ったアテナのために素手で敵と戦う。星座を守護とした88人の聖闘士がアテナを守り、世の悪と戦う。そして聖闘士は現代においても存在する・・・
孤児院の少年たちが、自分たちの育ての親であり、孤児院を運営していたグラード財団の総帥である城戸光政から世界各地の聖闘士養成所的なところへ放り込まれる。ほぼほぼ虐待であり、今では考えられないストーリー展開だが、当時の少年ジャンプではこういうのが当たり前だった。
大勢の人間が聖闘士になりたいと修行を積んでいるが、各養成所ではたった一人の人間しか聖闘士になれない。というのも聖闘士はその証として聖衣(クロス)というプロテクターを授かるからであり、各星座に一つだけ存在する聖衣の数が全部で88しかないので、必然的に空きが出るまでは聖闘士になれない。
残りの人間は悲しいかな、聖域(サンクチュアリ)というギリシャにある聖闘士の総本山の雑兵くらいにしかなれないのだろう。かわいそう。
最初は主人公のペガサス座聖闘士・星矢をはじめとするメインキャラクターたちが、いかに孤児院から過酷な現場に放り込まれ、辛酸を舐めつつ聖衣を手に入れたか、が綿密に描写される。このバックボーンがあるからこそ、その後続く長い戦いの中で各キャラクターを応援したくなるし、それぞれの成長がわがことのように嬉しくなるというファン心理をうまく突いている。

星矢たちは聖闘士の中では青銅聖衣(ブロンズクロス)という最下級にあり、その上には白銀聖闘士(シルバーセイント)、黄金聖闘士(ゴールドセイント)がいて、各階級の間には越えられない実力差の壁がある、とされているのだが、星矢たちはボロボロになりながらそれらの壁を次々と越えてゆく(と同時にダメージがいつの間にか回復しているのはご愛嬌)。
聖衣もブロンズはかなり控えめで、ほぼアクセサリーに等しい装着度合いなのだが、階級が上がるほど全身を覆う割合が増えていく。黄金聖衣などは顔以外ほぼ覆われてるんじゃないかというくらい。
おそらくアニメにしたときに「これではブロンズがほとんど生身だよね?」という危惧に行き当たったのだと想像される。そのためコミック版よりももうちょっと体を覆ってくれるようなデザインに変更された。

その後ストーリーは、グラード財団主催のいて座黄金聖衣(ゴールドクロス)争奪戦→不死鳥座(フェニックス)聖闘士・一輝首謀による暗黒聖闘士編→白銀騎士編→黄金聖闘士黄道十二宮)編→海王ポセイドン編→冥王ハーデス編と続くが、アニメ版ではポセイドン編の前に、北欧神話の神と戦うアスガルド編が入る。ここだけ身内のギリシャ神話から外れるのでちょっと違和感があるが、これがまた敵の神闘士(ゴッドウォーリアー)が素敵極まりなく面白い。
アスガルド編を除くと基本はギリシャ神話の中の身内の争いに終始しており、外部の敵とも戦ってほしかった。例えば宇宙人とか。アメリカのSFドラマで「V」(ビジター)という異星人が侵略してくる話があったが、あそこに聖闘士を放り込めばすぐ解決したのに。

元々は聖衣のプラモデル的な感じで男子の人気を、ギリシャ神話をモチーフにすることで女子の人気を得ようという狙いだったようだが、どちらかというと登場人物たちの美少年っぷりに女性人気が燃え上がった感じ。まだ当時としては一般的ではなかった「やおい」文化を担った初期の作品群の一つとしてあまりにも有名であり、いわゆる「薄い本」に本格的に取り上げられた作品である。
そのような非公式本とは別に、きちんと許可を得て商品化されている別の作者によるアナザーストーリーもある。

また、聖闘士は88人いる設定になっているが、そもそも星座が88個になったのは20世紀に入ってからなので、中にはとても神話の時代からあったとは思えない星座も含まれている。例えば「顕微鏡座」とか「六分儀座」とか。もちろん原作には登場しないが、別の作者が書いている別のストーリーではうまいこと取り入れられたりしているようだ。
当時のアニメ雑誌にはよく「三角座の聖闘士」で三角の着ぐるみを着ている人、みたいなお笑い聖闘士がよく投稿されていた。
そういう「隙」があることも却って人気が高まった理由の一つだろう。

研鑽を積んだごく一部の聖闘士のみが獲得する力として、セブンセンシズがある。これは第六感を越えた第七感であり、これに目覚めた者はコスモを最大限に爆発させることができる。黄金聖闘士はこのセブンセンシズの熟達者であるということだが、この「なんだかわからないがすごい力」は当時のジャンプでは定番であり(今も?)、キン肉マンの「火事場のクソ力」などが有名。
セブンセンシズのまたさらに一段階上にエイトセンシズに相当する「阿頼耶識」(あらやしき)があり、これに目覚めなければ冥界に行けない。ここまでくるともう激しいインフレを起こしており、セブンセンシズは当たり前、みたいな感じに見えるのがちょっとどうかと思うが、より強大な敵に立ち向かうには仕方のないことであろう。

敵として登場するポセイドンの戦士・海闘士(マリーナ)や、ハーデスの戦士・冥闘士(スペクター)が、どう考えても聖闘士よりかっこいいクロス(それぞれ鱗衣(スケイル)と冥衣(サープリス))であり、やはり後から出てくる方は前に出ているものを越えていかないと人気が持続しないんだなぁと妙なところで納得したのを覚えている。
しかし冥闘士なんて煩悩の数になぞらえ108人いることになっている。いったいどんな珍妙な奴らがいたのか興味は尽きないが、もちろんストーリーに出てくるのはほんの一部であり、かっこいい奴もしくは不気味で雰囲気のある奴しか出てこなかった。

あとアニメでは主題歌が熱かった。前期OP「ペガサス幻想(ファンタジー)」はハードロック調でありながらタイトルを連呼する由緒正しいスタイルで非常にかっこいい歌だったし、アスガルド編からの後期OP「ソルジャードリーム」は今を時めく影山ヒロノブの渾身の作でこれまた映像にマッチしていて素晴らしい。どちらもカラオケで何十回も歌っている。

今でも作者自身による続編が描かれているし、別の作者によるコミックもある。映像でも次々に派生作品が生まれており、まだまだ楽しめそうである。

 

聖闘士星矢 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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