観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

銀河鉄道999(1977)

 これもコミックとアニメ両方好きだったので、どちらもなんとなく取り上げる。

ずっと遠い未来の世界。宇宙の星々が「銀河鉄道」という宇宙空間を走る鉄道で結ばれ、人類はその版図を広げていた。
地球で母と暮らす少年・星野鉄郎は、機械伯爵たちに母を狙われ、殺されてしまう。母はその美しさにより、伯爵に剝製にされてしまったのだった。
金髪の美女・メーテルの助力により復讐を遂げた鉄郎は、自分も機械の体になって見返してやりたいと、メーテルとともに機械の体をタダでくれる星に旅立つ・・・

メーテルと鉄郎が999に乗りつつ、停車する様々な惑星でのエピソードが物語の主軸になっている。各星の住人は、ほぼほぼ地球人と同じ場合もあり、完全に異星人な場合もありだが、それぞれ考え方や常識、摂取する食物や習慣が決定的に違うことが多く、異文化すぎるカルチャーに触れて鉄郎がびっくりするか、もしくはトラブルに巻き込まれるというのがお決まりのパターン。
しょっちゅう命の危険があるような目に合うのだが、物語の序盤で手に入れた、宇宙に4丁しかないと言われている「戦士の銃」を手に入れたことで、よく覚えていないがいつの間に鉄郎は銃の名手ということになっており、戦士の銃を巧みに使いこなすのでそれで何とかなっている。
また、メーテルも謎の女らしくいろいろと武器を持っていたり強かったり、その割にはあっさりと原住民につかまったりと、ちょっととらえどころがない存在だが、どんな住人にも美女は美女として認識されるのがさすがメーテル
ただ、当時の男の子たちはほぼ全員がメーテルに憧れた経験があるはずで、あれはすべての男性の根源にあるアニマ(女性の象徴)を具現化したものだからだと勝手に思っている。
そもそも、999が停車してもホイホイとその星で下車しなければいつもトラブルに巻き込まれずに済むのになぁと子供心に思っていた。もっとも、999は最新鋭の宇宙船に等しいテクノロジーで動いているとは言え、客車は寝台でも何でもない、堅そうな木製の椅子に薄いクッションが張り付けてあるだけなので、あれで何日も過ごすのは難しいだろうし、鉄郎とメーテルはいつもどうやって寝ているのだろうと不思議だった。時々メーテルが「私の胸で眠りなさい」と鉄郎を抱きしめるシーンがあるのだが、あれは鉄郎が第二次性徴を迎えていないからできることだろう。色気づいていたら寝るどころじゃないよなぁ。

他の松本零士作品とクロスオーバーしているのも魅力の一つ。キャプテン・ハーロッククイーン・エメラルダスもちょこちょこ顔を出す。鉄郎を一人前の男として遇しているのが、見ている少年たちはわがことのように嬉しかったのであった。

コミックおよびTVアニメの鉄郎はかなり不細工なのだが、劇場版の鉄郎はかなりかっこよくなっており、大人たちが忖度をして、「映画なんだから不細工はいかんだろう」と判断した結果ではないかと勝手に思っているのだがどうだろうか。そんな必要ないのになぁ。
でも劇場版第二作のラストシーンでは、やっぱりちょっとイケメンにしておいてよかったというシーンもあり、悩ましいところである。

劇場版第一作では原作をある程度なぞらえたストーリー展開なのだが、劇場版第二作は完全オリジナル。だいたい二作目はがっかりすることが多いのだが、個人的には第二作の方が好み。話も壮大だし。
第三作と言ってよいのか、だいぶ後になって作られた「エターナルファンタジー」は、話がやっとスタートしたというところで終わるというひどい作品で、続編を次々に作ってくれるのならまだ許せたのだが、あれから何年もたつのに音沙汰がないのが許せない。そんなの最初に目途を立ててからやってよ~!

そして銀河鉄道999と言えば主題歌だろう。TV版のささきいさおの歌もよかったし、劇場第一作のゴダイゴはもうスタンダードナンバーと言ってもよい名曲。どちらもカラオケで何十回歌ったかわからない。より原作の雰囲気を表していて哀愁があふれるのはTV版なのだが、やっぱり少年が男になっていく過程を勇ましく映画いているのがゴダイゴの方でかっこいい。やっぱりどっちもよいですなぁ。

 

銀河鉄道999

銀河鉄道999

  • 発売日: 2015/04/28
  • メディア: Prime Video
 

 

銀河鉄道999(1) (ビッグコミックス)

銀河鉄道999(1) (ビッグコミックス)