鴨ちゃんのアジアパー伝、最後の章。
前半は師匠であるジャーナリスト、ハシダさんとの出会いの頃のエピソード。ゲリラに脅されてカメラを取られてしまった話、ハシダさんがお手伝いさんに金盗まれて逃げられた話など。
戦場カメラマンと言えば聞こえは良いが、メジャーな会社の取材では危険だったりメリットがなかったりで誰も行かないようなところへつっこんでいくのがハシダ組のやり方で、最初からその鉄砲玉のような取材から修業していった鴨ちゃんは橋田さんの薫陶により成長していったのであった。
そのハシダさんも2004年にイラク・バグダッドで襲撃を受けて殺されてしまった。戦場カメラマンのリスクとはいえ、詮無きことであるなぁ。
ある時は知り合いから大量の冷凍アジフライを安く譲り受け、転売で稼ごうとするが、輸送中に溶けてしまい、ひどい品質になってしまい失敗。
ばくちも下手、商売もだめ、カメラも・・・と落胆する鴨ちゃんの様子がコミカルに描かれている。
また、ハシダさんたちとの取材で旧ユーゴに訪れた際にお世話になった美人の女医さんに「サラエボにいる家族に荷物を届けてほしい」と言われ、戦時下の国を渡って荷物を届ける、というドキュメンタリーにしようと画策する。しかし、みな高潔な志の持ち主ではないため、女医の荷物から勝手に食べたり飲んだりしてしまい、荷物を届けた時には中に入っていた手紙にしたためてあった品物一覧に書いてあるものが全然揃っておらず冷や汗をかく。
よく言えば豪快、悪く言えばいい加減に物事を進めるのだが、それを命がけで行っているのが潔いというかバカというか。
でもそういう生き方を見ているのは気持ちがいいものだ。
このあと、鴨ちゃんは2007年に腎臓がんのため42歳で死去。もっともっと真に迫ったエッセイを書いてくれただろうに、惜しい人を亡くしたものである。