DUNE/デューン 砂の惑星(2021)

フランク・ハーバート原作の一大SF叙事詩が原作で、以前ここで取り上げたデイヴィッド・リンチ監督の映画があるが、そのリメイクというよりは原作の再映像化、ということになる。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、以前紹介した「ブレードランナー2049」の監督でもある。

西暦で言うところの1万年を過ぎた遠い未来、銀河帝国皇帝から惑星アラキスの統治を命じられたレト・アトレイデス公爵は、最大の用心・準備・防御をしながらアラキスへの移住を行う。
愛妾ジェシカの息子でありレトの跡取りであるポールは、ジェシカのベネ・ゲセリットとしての訓練を積んでいく中で、一度も行ったことのないアラキスの予知夢を頻繁に見るようになっていた。
アラキスから算出されるメランジと呼ばれる香料(スパイス)は、宇宙船を飛ばす航宙士(ナヴィゲイター)がワープ航法を行う際や、超能力を駆使する女性集団ベネ・ゲセリットが力を発揮する時に不可欠のものであり、貴族たちにとっては不老長寿の妙薬であった。
アラキスの利権をめぐり、元領主であったハルコンネン男爵、皇帝、スペースギルドやベネ・ゲセリットたちの思惑が交錯する。
そして身内の裏切りとハルコンネンの襲撃によって崩壊するアトレイデス家。辛くも逃げ延びたジェシカとポールは・・・

いろんなところに行き届いた配慮が垣間見える。原作にもリスペクトしつつ、リンチの圧倒的な映像美にも敬意を払って使えるところは使い、よりよくできるところは可能な限りブラッシュアップしようとした努力がそこかしこに見えており、この監督は原作もリンチ映画も大好きだったんだなぁと感じられて好印象。
また、最新の特撮やCGを駆使したスケールの大きさはさすが。大砂漠惑星の中で埋もれそうになりながらも、銀河帝国の威光とプライドを込めた巨大な建造物のスケールの大きさは迫力がある。
ただドンパチやって派手に騒ぎ散らかすハリウッド映画とは一線を画し、SF史に燦然と輝く惑星アラキスとアトレイデ家の人々の歴史が厳かにスタートしたことが改めて感じられた。

ただ、この映画前編だけなのね・・・全然前情報なしに映画館に行ってしまったので、てっきり全部やるのかと思ったら、オープニングのタイトルで「PART ONE」のちっちゃい文字が出てきてすべてを悟った。まあそうだよなぁ。2時間半ではとてもおさまるスケールではない。というかリンチはそれで制作会社に切り刻まれて2時間ちょっとのダイジェスト版にされてしまったのだし。
また、原作を読み込んでいないと何が何だかわからない、というのはリンチ作と変わらない。原作のディテールの細かさやスケールの壮大さが大きすぎるのがそもそもの原因なのだが、それらを全部表そうとすると、おそらく10時間を超える映画になってしまう。涙を飲んでぶった切ったエピソードや描写はいっぱいあるのであろうことが想像できて、それはそれで痛ましいほどではあるのだが、観る人にとっては関係のない話なので、デメリットになってしまうポイントである。
そして、迫力のある映像ではあるのだが、あまりにもリアリティを追求しすぎたからであろうか、ほんとにありそうな砂漠惑星のワンカットにしか見えず、リンチの映画のような「美」が迫ってくるような圧倒された感じはあまり感じなかった。そのため、序盤の説明じみたストーリー展開の内はそこそこ退屈な時間が過ぎていく。ちょっともったいない。
あと、これはおっさんの僻みでしかないので主観的意見でしかないのだが、主人公のティモシー・シャラメの線が細すぎて、幼くも頼りがいがあり徐々に覚醒していく主人公・ポールにどうしてもそぐわない。
ネット上の感想を見てみると、このシャラメが「あまりにも美しすぎる!」みたいな賞賛が多かったのだが、「昔はよかったおじさん」からすると、カイル・マクラクランの割れたアゴくらいのマッチョさが欲しかったなぁと思ってしまう。いかんなぁおっさんは・・・
音楽もちょっと微妙だった。おそらくはフレメンから、アラビア的な異国をイメージしたのだと思うが、女性が甲高い奇声を発し続けていつBGMが延々と続いているようにしか聞こえず、正直耳障りだった。まあ、たぶん僕の方がありがたみを理解できていないのだろうけど・・・

デューン 砂の惑星」はホドロフスキーが映像化しようとして失敗し、リンチが映画化し、そのあとアメリカのケーブルテレビがドラマ化して本「砂の惑星」と続編「砂丘の子供たち」まで映像化している(その昔TSUTAYAでレンタルして観た)。パラマウントも映像化しようとして失敗しているので、本映画で5回目の映像化ということになる。
原作ファンとしては、なんとか「砂の惑星」だけではなく、「砂丘の子供たち」「砂漠の神皇帝」へと映像化をつなげてほしいところである。

 

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