AMAZONオリジナルドラマ。全10話。ネタバレ注意。
時は2022年。この世界では半世紀前に怪人-KAIJIN-が誕生し、人間と共存しつつも、摩擦や軋轢が絶えず、緊張が緩和しきれずにいた。街中では怪人排斥を叫ぶデモが行われ、国連では少女が怪人の差別撤廃を訴えていた。
怪人は通常は人間と変わらない姿をしているが、力を開放したり興奮したりすると怪人の姿に変化し、パワーが増加したり、変身後の怪人の特性によって空が飛べたり、殺傷能力が高くなったりする。
また、怪人には下級怪人や上級怪人、神官クラスなどの階層が存在しており、神官たちは日本政府の中枢に食い込み、人間と怪人、お互いの利益のために相手を利用しているのであった。
一方、街の片隅で生きながらえ、はした金で汚い仕事を請け負っている、うつろな目をした中年男性・南光太郎は、人権活動家・和泉葵を殺そうとしてふと手を止める。彼女の胸に光るペンダントはまぎれもなくキングストーン-創世王を生み出すための2つのキングストーンのうちのひとつであった。
ここに、創世王と二つのキングストーンをめぐる、怪人と人間たちの過去50年の歴史とその終幕が明らかになる・・・
10話あるだけあって話が非常に複雑で入り組んでおり、50年前の学園紛争で60年安保さながらに怪人の人権を訴えたグループ「五流護六(ゴルゴム)」のメンバーたちと、のちの総理となる、当時の総理の孫の堂波真一の因縁と、現代の彼らが織り成す裏切りと戦いが交錯しまくっている。
三神官は当時の総理大臣と手を握る。
ビルケニアはそれを良しとせず幽閉されていたが、のちに現総理大臣:堂波真一の懐刀となる。
信彦-シャドームーン-は50年間幽閉されたあと、のちにゴルゴムを乗っ取り、怪人優位社会を目指す。
光太郎-ブラックサン-は創世王を殺し、これ以上怪人が生み出されない世界を目指す。
それぞれの思いがあまりにも違い過ぎて争い必至。もうちょっと話し合いはできなかったのかと思うが、50年の間に語られなかったアレコレがきっと山ほどあったはずなので、もう戦うことでしか語り合えない状態に陥ってしまったのだろう。
本作は1980年代に放映された「仮面ライダーBLACK」のリメイクとなるが、視聴者層は当時これを観ていたオッサンたちに100%照準を合わせており、レーティングが18+なのでお子様は見られない。
そのため、ストーリーは骨太かつ大人向けな重厚な内容となっているものの、固有名詞やストーリーの一部などは旧作をこれでもかと言わんばかりになぞっていて、旧作好きにはたまらない内容になっている。
というより作り手側の旧作への愛が深すぎて眩暈がしそうなほど。
その集大成が第10話のオープニングであろう。旧作のOPと同じ画質とカット、主題歌はまさかの倉田てつを版をそのまま使用という大胆さ。ここで涙ぐまなかったオッサンは皆無と思われる。
そして個人的にはビルケニア。旧作ではあまりにも狂暴なので強制睡眠させられていたのを、神官たちが仮面ライダーBLACKになかなか勝てず呼び覚ましたものの、やはりなかなかいうことを聞かずに勝手なことをしでかしながらも「剣聖」の名に恥じない名勝負を繰り広げたのだが、なぜか顔だけおっさんのままでしかも白塗りという、当時としてもちょっと「プッ」と笑ってしまうような造形だった。
本作ではさすがに白塗りはまずいと思ったようだが、それでも三浦貴大の顔が着ぐるみから覗いているので他の怪人との差がありすぎて二度見してしまう。
それでも、本作のビルケニアは、普段からサタンソードを携え、敵をばっさばっさと切り捨てまくったり、●(自主的に伏字)を怪人化してしまうなど、苛烈で容赦がなく残酷だが、一本筋が通っていてとても印象的。三浦貴大の演技がハマっていてかっこよかった。
また、そこまではとても覚えていなかったのだが、クジラ怪人=濱田岳がブラックサンを助けるエピソード。だいぶ旧作に忠実にしたおかげで、瀕死のブラックサンをなぜか海中引き回しの刑に処したり、雑菌まみれっぽい貝汁をダバダバかけまわしたりするのはどうかと思ったが、これもオマージュの一環ということで。
対照的に本作オリジナル設定で、ストーリーの根幹に絡む重要な役として、人権活動家の少女・和泉葵が登場する。
彼女のおかげで過去と現在に一本くさびが入り、ストーリーが分断されずにつながっていくのはよくできていると思った。
そして彼女の怪人形態がとにかく強い。これならライダー形態も作ってあげればいいのになぁと思ったが、そうするとブラックサンとシャドームーンの戦いに水を差すことになるので致し方なしか。
三神官は旧作ではあまり細かく人格描写されてこなかったのだが、本作はそこもしっかりフォローされている。特にビシュム=吉田羊はいい味を出していた。
これまでシャドームーンは仮面ライダー扱いはされてこなかった(敵の怪人の親玉的な扱い)が、本作で晴れてライダーとして括られることになった。まあ、旧作からの共通設定として、ブラックサンとシャドームーンはついとなる創世王候補であり、殺し合い生き残った方が次期創世王になるわけだから、片方がライダーであればもう片方もライダーでないと収まりが悪い。
予告編で観た時は、なんでブラックサンがおっさん(西島秀俊)なのにシャドームーンは若い(中村倫也)んだよと思ったが、そこはしっかりと理屈と説明があって、まあそれなら仕方がないかと。でも、戦って互角なのはなぁ。普通は若い方が強いよな。
しかしブラックサンとシャドームーンのライダー形態、そしてそれぞれのライダーベルトが失神しそうなほどカッコいい。おっさんを狙い撃つとこんなにあざといほどに刺さりまくるカッコよさになるのかと、改めてプロのお仕事のすごさに平伏する。
まあでも、大人向けCSMのベルトが4万4千円。ちょっと手が出ないが・・・ああでもどうしよう。
ラストは賛否あると思うし、正直もう少し丸く収めてほしかったと思わなくもないのだが、あの世界観ではそう簡単に平和は訪れないわけで、その中でも「自由は自分の手で勝ち取る」という光を見せたかったという意味と受け取った。
久々に感動した大作であった。