観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

太平洋ひとりぼっち(1963)

子どものころ、一人でヨットで太平洋を横断する、子供向けに書かれた写真がいっぱい載っている本を買ってもらい、何度となく読み返していた。
それが日本人初横断を達成した本作の元ネタとなっている堀江謙一氏なのか、別の方の話だったのかはもう覚えていないのだが、その印象がとても強く残っており、プライムビデオでたまたま見かけたので観た。

1962年、周りからの強い反対を押し切り、青年・堀江謙一は、まだ日本人では誰も成し遂げたことがない、ヨットによる単独太平洋横断の旅へと出発する。
この度のためにヨットを設計・建造し、何度となくシミュレーションを繰り返し、持っていく道具や食料なども綿密に計算した。
結局パスポートは取れなかったので、現地で留置場へ入れられ、強制送還される前提であり、自分の息子が牢屋へ入れられるなんてと母は泣いたが、冒険へのワクワク感と野心は止めようがない。
真夜中、周りに見つからないようにこっそりと出港したのだった。
しかし、いくら待っても風は吹かず、大阪の海から出ることすらできない。待ちくたびれたころやっと風が吹いて進めたと思ったら大嵐に巻き込まれ、船中は水浸しである。
旅を続けていると、大丈夫と思っていたビニール袋詰めの水のいくつかは変質して飲めなくなっていたので大海原へ捨てた。
船底に貝が付着し、船の進むスピードが落ちるため、体にロープを巻き付けて海に飛び込み、棒の先に空き缶を付けて貝をゴリゴリ削り落としたが、凪の海でもヨットは進んでおり、ロープがなければ置いてけぼりになりそうになる。
甘いものを食べつくし、バターと砂糖とクリープでケーキまがいのものを作ってみるが、余計にケーキへの渇望が増えてしまったり。
楽天家な堀江でも、ついには望郷の念にとらわれてしくしく泣きだしてしまうのだった。
それでも決してあきらめず、ヨットを進めていく・・・

いまでこそ辛坊治郎氏もチャレンジされたりしているが、これは最新の機材や通信をフル活用しているのであり(もちろんチャレンジ自体が過酷で意義のあるものであることは疑いようの余地はない)、1960年代当時はそれらの便利な機材は一切ないし、大企業のバックアップがあったわけでもない。むしろ周りからは反対される中それを押し切っての強行軍であり、非常にリスクの高い行動であったと思われる。
しかし、「リスク」などと言っているから冒険ができないのであって、むろんのことそのリスクを下げるための綿密な準備と計算は必須であり堀江謙一もそれを行った上での行動であるものの、根底にあるのは冒険への渇望である。
どんなトラブルや死の恐怖をも押しのけ打ち勝つモチベーションがそこにはあるわけで、何よりそれが一番素晴らしく、そしてうらやましい。
日常生活でリスクばかりを気にしてそれを回避することを主目的に活動している。特に仕事上ではそれが求められもするわけで、美徳であるとも思われているが、同時に退屈極まりなく、何のために生きているのかわからなくなることもある。
そんな時にこの冒険心をほんの少しだけ思い出して、チャレンジしてみたら心にパァっと花開く嬉しさや楽しさ、前向きな希望があるかもしれない、そうちょっとだけ思って仕事してみようと思った。ちょっとだけね。

それにしてもヨットが小さい。あんな小さな船でよくもまあ太平洋を横断したものだ。ちょっと高い波で木っ端みじんになりそうな危うさがある。
ビニールや空き缶をぽいぽい海へ捨てていくのはご時世な感じ。今の映画では無理だろうな。
安物の猿股を60着持って行って、一回着たら捨てる、という描写があり、ボクサーブリーフというかトランクスというか、サルマタがあれを指していることを初めて知った。
堀江謙一もお酒があまり飲めなかったようだが、食料としてちゃんと積んであって、水を節約するためと称して飲んだり、孤独に耐えるため敢えて二日酔いになろうとチャンポン飲みして苦しんだりしていた。下戸というかほとんど飲めない者としてわからなくはないが、あんな二日酔いのなり方は嫌だなぁ。
あと、よくわかっていないまま適当に書いているので誤解があったら大変申し訳ないのだが、石原裕次郎はやんちゃで無鉄砲な若者を好演しているものの、美男子ではないような。そういうほっとけないかわいいところが人気だったのだろうか。