観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

セブン(1995)

映画史に残る傑作として名高いが、怖くて見たことがなかった。テレ東の週末昼間枠でやっていたのでノリで観てしまったが、アマプラでも見ることができたのを後で知った。ネタバレ注意。

アメリカの都会。あと1週間で退職を迎えるベテラン刑事・サマセット(モーガン・フリーマン)は、いつものように殺人現場へ向かう。
そこに唐突に現れたのは赴任したばかりで空回り気味の新人刑事ミルズ(ブラッド・ピット)。
挨拶もそこそこに現場検証を行う。被害者はものすごく肥満して巨大な体躯を持つ男。無理やり食べ物を食べさせられ、腹を殴られたのが死因だった。
手足は椅子に縛られており、誰かに殺されたと断定された。
翌日、次の殺人事件では、被害者は弁護士の男で、腹の肉を切り取られていた。血で「GREED(強欲)」の文字が書かれていた。
最初の事件との関連性を想起したサマセットは、最初の事件の現場を改めて調べ直す。そこには脂で書かれた「GLUTTONY(暴食)」の文字と、事件を始めた犯人によるものと思われる書き置きが発見される。サマセットはこれらの事件が「七つの大罪」を元に起こされた連続殺人であると推理する。
サマセットは、自分が在職している1週間ではこの事件を解決することはできないと思い、担当から降りることを考え、ミルズに「カンタベリー物語」やダンテ「神曲」を読むよう助言するが、これを面倒だと思ったミルズはあらすじが書かれた本を買う。
ミルズの妻、トレーシー(グウィネス・パルトロー)がサマセットをミルズ家の夕食に誘い、3人が打ち解ける。
夕食後にサマセットとミルズが事件の写真を見返している時にある手掛かりが判明し、そこからある男の関連性が浮かび上がるが、その男も「SLOTH(怠惰)」として殺されていた。彼は1年前から監禁され、弱っていく様が記録されており、その1年後に警察に発見されるよう仕向けられた殺人であった。
事件の合間にトレーシーの悩み事相談に答えるサマセット。
サマセットが違法でFBIから入手した図書館の利用情報から浮かび上がったジョン・ドウ(ケヴィン・スペイシー)という容疑者。彼を追跡するサマセットとミルズは反撃に会い・・・

過酷で悲惨で胸の悪くなる映画。救いはなく、謎は解けず、ただただ猟奇的な犯人に翻弄されるばかりで気分が悪くなる。
最初は若者と老人の理解し合えない刑事コンビが徐々にお互いを認め合い、高め合って事件を解決していく話としてワクワクして観ていくのだが、それだけで終わるはずもなく、犯人の思惑に翻弄されていき、「そんな!」とハラハラさせられる。
しかし、映画という媒体が観る人の感情を想起させるためのアートだとすれば、この作品は胸糞悪さを想起させる作用において過去に類がないほどの効果を生み出しており、それが評価されている最大の理由だろう。
脚本を書いたアンドリュー・ケビン・ウォーカーは、ニューヨークという大都会に住んで鬱屈した気持ちを抱き、古典を読み耽ってこの脚本を書いたとのことだが、その引きオタっぷりが想像できて、ある意味エモい。
また、自身が監督した作品「エイリアン3」が大爆死してふてくされていたデヴィッド・フィンチャーが、一度読んだ時には心に留まらず一旦は放り投げたこの脚本を、後日改めて読み直して監督になることを決めたという。その制作側のストーリーも興味深い。
気になった細かい点はある。着任して数日の若い刑事の奥さんが、旦那の同僚のおじさんを食事に誘ったり人生相談するかなぁ。
図書館で「カンタベリー物語」や「神曲」を借りた人間を調べることで犯人を特定しようとしているが、そんな大それた事件を起こそうとしている犯人だったら、図書館で借りて済まさず、買うんじゃないだろうか。
もちろんこれらは最後のオチに向かう疾走感を何より最優先にしているためであり、冗長な説明を省いたことで物語の勢いが増しているので、これでよいのである。
殺人に絡む描写の粘着質な精緻さと、こうした重要でないところとの落差がまた観ていて薄気味悪くなる。
映画というメディアのポテンシャルについて改めて考えさせられた作品だった。