今年公開された劇場版。アマプラで観た。ネタバレ注意。
イタリアの大学の講演で招待された岸部露伴は、編集者の泉が指定した日より一日早く単身でヴェネツィアに乗り込んでフィールドワークに勤しんでいた。
そこでスリの男二人をヘブンズ・ドアーで退治したことが縁で、マスク職人で日伊ハーフの若い女性・マリアと知り合う。
観光で教会に行き、ふとした興味で懺悔室の神父の側に入ってみた露伴。
するとそこへマスクをかぶった男が入ってきて、突然告解したいと言い出す。
露伴は好奇心が抑えられずそれを了承して男の話を聞き始める。
男・水尾は若い頃、この国で生活していくために、現地の男たちの執拗な嫌がらせを我慢しつつ土方の手伝いをしていた。そこへ、病気で何日も食べ物を口にしていないという浮浪者ソトバが現れ、食べ物を乞う。
水尾はサンドイッチを持っていたが、ただでやるわけにはいかない、ここにあるがれきを全部下に運んだらくれてやる、とソトバを突き放す。
フラフラのソトバは水尾に罵倒されて奮起するが、階段を落ちてしまい、死亡する。
上からその様子を見た水尾の足に、なぜか死んだはずのソトバが絡みつき、「お前が幸せの絶頂を迎えた時に絶望を味あわせてやる」と言い残す。
その後水尾はあり得ない程の幸運に恵まれて大金持ちになり、美しい妻とかわいらしい娘に恵まれる。幸福の絶頂とならぬよう、いつも少し損をしたり、何事も一番目を選ばなかったりと抜かりなく生活していたが、ふと娘を見て「幸せだ」と思ってしまう。
その瞬間に娘の体をソトバが乗っ取り、ポップコーンを該当より高く投げ上げ、口で3回キャッチしたら許してやるが、できなければ絶望を受けろ、と言う。
2回成功するが、3回目で失敗し、水尾は殺される。
なぜ水尾がまだ生きているのかを知るために、露伴はヘブンズ・ドアーで男の過去を読む。
殺されたのは、水尾ではなく、金に目がくらんで水尾そっくりに整形していた執事・田宮であった。水尾自身は逆にその執事の顔に整形し、この日に備えていた。
今度は死んだ田宮から「お前が幸福の絶頂にある時に絶望を味あわせる」と脅されており、もうすぐ娘が結婚式を挙げることから、告解に来たのだった。
水尾の娘が、露伴があったヴェネツィアマスク職人のマリアであり、マリアのフィアンセが露伴を講演に招いた大学の理事・ロレンツォであった。
露伴と編集者・泉にも次々とありえない幸運が押し寄せてきて、それはこの呪いに取り込まれたことを意味していた。
露伴はマリアとロレンツォに予定より一日早く結婚式を上げさせ、更に一計を案じた・・・
水尾がひたすらにゲスい。
こいつが意地悪で品がないばかりに、とうに受けるはずだった報いが遅れてまとめてやってきたということだろう。
まあ、死んだはずのソトバの呪いがどう発動しているのかは、例によって謎なままなのだが、そこは本作にとっては重要ではない。
怪奇的事件に巻き込まれた露伴先生が、常識にとらわれず、怪異のルールにのっとり、それを解決していくところに醍醐味があり、本作でもそれがいかんなく発揮されていた。
映画でやるにはちょっとエピソードが弱かった気もするし、最後のオチはすぐ想像できてしまう。まあ、ここはあまり見せ場ではないのだろう。
ヴェネツィアの街や教会、美しいマスク達の映像がひたすら素晴らしい。これは劇場で観たかったかも、と思わせるものがあった。最近はそういうの多いなぁ。やはりお金や労を惜しまず、劇場に足を運ぶべきなんだろうなと改めて思った。
露伴先生と泉君は現実では夫婦であり、それを思うとひたすらに微笑ましくなってしまう。それはもう仕方がないよね。
