コールマン(Coleman) テント カーサイドテント 3025

元々はここでも取り上げたコールマンのツールームテントを使っている。
あれはあれでよいものなのだが、一昔前のテントということもあり、立ち上げるのにとにかく手間がかかる。
その最大の手間はポールの多さで、リビングの天井で6本、それを立ち上げる足に4本、寝室に2本で、最低でも12本のポールを組み立てて通してひっかけて、を行わなければならない。フラップを上げようとするとさらに2本である。これを全部やってからペグダウンなどするともうヘトヘトである。
ほぼほぼ土日で行くので、初日に苦労して設営しても翌日には撤収。労働力がもったいない。まあそんなことを言っていたらキャンプなどできないのだが・・・
現在我が家の自家用車はFREED+で、もともとこの車は小ぶりながら3列シートの7人乗りだったところを、最後尾席を取っ払い、フルフラットにできるところが「+」というわけだ。これを車中泊に使わない手はない。
ということで、寝るのは車の中、リビングだけ外に設営したい。

そこで購入したのがこちらのカーサイドテント。
タープだけ張ればいいだろう、と最初は思ったのだが、メインで使っているツールームテントの最大の強みは、リビングの壁面をすべて閉じることができるという点で、これがあると強風下でも大雨でも何の不自由もなく過ごせる。今まで何度も助かってきた。
そのため、カーサイドでも同様のことができるという条件で探したところ、ロゴス、小川テント、そしてコールマンで手ごろな値段のものがみつかり、3つの中で一番居住区画の容積が大きそう、という理由でコールマンを選択した。

で、実際に2回ほど使ってみた。
天井は2本のポールを交差して張り、2本のサイドポールで二隅を立ち上げる。
その反対側2か所を車に固定することで部屋を作る。
車に隣接している側には壁はないので、直接車に出入りできるようになっている。

当たり前だが、ツールームテントより格段に設営が楽。
といってもおそらく小川テントやロゴスに比べるとポールの数がやはり多くて、それらの方がもっと設営は楽かもしれない。こちらのテントは天井用ポールと立ち上げ用ポールが別々なので、それぞれ別個につなげなければならないという手間がある。
まあでも、12本ポールで過ごしてきた身にとってはなんということもない。
そして、居住空間が面積も容積もたっぷりとれるので、非常に過ごしやすい。
というかほぼいつものツールームテントのリビング部分と同じ大きさなので、おなじみの感覚がそのまま使えるのが大きい。
ロゴスや小川テントの方は、上の方が車寄りに傾斜しており、天井の部分が斜めになっている印象だが、こちらは天井がしっかりあるので実質的な活動領域が多く取れているように思う。
車で寝るのが問題なければこれでまったくもってOK。よくできてるなぁ。

ただ、問題がないわけでもない。
車との接合は付属品だと吸盤になっていて、それを車の天井に張り付けるのだが、車にもよると思うがうちのFREED+は天井が微妙に湾曲しており、絶望的なまでに吸盤が張り付かなかった。
初回はそれで強風にあおられ、あっけなくはがれてはぺしゃんこになる、というのを繰り返したので、2回目は強力磁石(下記)をあらかじめ買っておいた。
そのまま使うと車に傷がつきそうだったので、いらないハンカチを切り抜いて、付属の両面テープで接合面に貼ったところ、ちょうどいい感じに。
本テント2回目の使用時に実際に使ってみたが、風が吹いてもびくともせず、思った通りの出来栄えでほっとした。
また、結局は地面と触れているのは2本のサイドポールだけなので、風に吹かれるとだいぶたわむ。そのため、横から出ているロープでの補強がマスト。この分手間がかかる。
また、下部のスカート部分は何も固定されていないので、見栄えよくしたい場合は8か所ほどペグダウンしないとピラピラする。結局結構手間がかかっているような気も・・・
まあでも、キャンプとはそういうものだ。手間も楽しみのうちということで。

 

 

 

 

シドニアの騎士 あいつむぐほし(2021)

いつの間にかアマプラに来ていたので視聴。
もともとはテレビアニメから見始め、そのあと完結したコミックも読んだ。本作はこれらのストーリーを元に前・後編で制作された劇場版の後編に当たる。
新しいエピソードやカットはあるものの、基本的なストーリーはコミックやアニメの通りなので、前編は見なかったのだが、後編はアニメで届かなかったコミックのラストにまでストーリーが進んでいるので興味深く観た。

未知の生命体ガウナに地球を滅ぼされた人類は、人類という種をつなぐべく、巨大宇宙船で植民可能な星を探して旅だって行った。シドニアはそのうちの一つであり、50万人規模の乗員を可能とし、砲身含め30km近い大きさの世代宇宙船で、1000年にもわたってガウナの追っ手から逃げつつ新天地を探す旅をしている。
シドニアでは人類をより少ないエネルギーで生存させるための遺伝子改造を積極的に行っており、人々は光合成によってエネルギーを得ることができる。
しかし、主人公:谷風 長道(たにかぜ ながて)は船の奥底にある、今は使われていない古い居住区で祖父と二人きりでひっそり暮らしており、光合成のできない旧来の人間として育った。
祖父がなくなり、遺言に従って表の世界に出た長道は、最初はシドニアの住人達から野蛮人的な扱いをうけるが、祖父に仕込まれた、ガウナに対抗するロボット型兵器・衛人(もりと)の操縦の際を見込まれてパイロットになり、シドニアを守ることになった・・・

人づてにはこの作品の話を聞いていたのだが、独特且つハードなSF設定がアツい。世代宇宙船というだけでも心にグッとくるものがあるのに、アツアツポイントが目白押しである。
戦っている奇居子(ガウナ)という対話が通じない宇宙生命体は、あらゆる通常兵器が効かないのに、カビと呼ばれる特殊物体でだけとどめを刺すことができる。
光合成できる人類というのもすごいが、パイロットには普通にクローンで量産された人がまるで姉妹のようにキャッキャしながら闊歩している。
成人になるまで男女どちらかの性の選択を先延ばしにできる人もいる。
設備や兵器の名前がみな古めかしい漢字で、日本人の祖先の一団が逃げ生き延びたことを想起させるネーミングもよい。戦闘シーンではモニターに漢字ばかりが映し出される違和感が逆に心地よい。
衛人が遠くへ飛翔する際は「掌位」と呼ばれる形で複数の衛人が交差して手をつなぎ合体して飛ぶ。その様子が非常に美しく観ていてほれぼれする。
パイロットたちはスキンスーツと呼ばれる宇宙服を着るのだが、体から放出される水分を余すところなく再生利用するため、スーツを着ると自動的に尿管カテーテルが差し込まれる仕組みになっていて、皆スーツを着る時に「うひゃっ!」という顔をするあたりがリアル。

本作はアニメでは初めて漫画の完結までを取り扱っているため、映像的にはこれで最後ということになるのだと思うが、漫画と全く同じではつまらないとばかりに、いくつかの点で敢えて変更を試みていると思われる。
最後の最後のネタをばらすことになるのでここでは触れないが、それらも話をコンパクトにまとめてカタルシスを得るためにはとても役立っており、納得のオリジナル展開だった。
テレビアニメが最初に始まった時は、フルCGが非常にぎこちなくて、操り人形化というほどのカクカクぶりだったが、本作ではとても滑らかに自然な動きとなっていて、とても楽しめた。

 

 

デューン/砂の惑星(1984)

元々はフランク・ハーバートのSF小説が原典。
もうすぐ公開される予定(2021/10/15)の映画はリメイクにあたり、ここではその原点となっている、デイヴィッド・リンチ監督の劇場版「デューン/砂の惑星」を取り上げる。
西暦1万年以上の未来世界。人類は機械やAIを発達させることで文明を発達させ、宇宙に進出していったが、機械やAIから反乱を起こされ大戦争が勃発する。
その教訓から、中世的かつ精神文化が発達した独自の文明を作り上げた人類は帝国制を敷き、安泰であるかのように見えた。しかし、宇宙船をジャンプさせ長い距離を航行する航宙士(ナヴィゲーター)のスペースギルドや、超能力を持つ教母集団ベネ・ゲセリットなど、皇帝の権威が届かない独自のグループもおり、それぞれが暗躍しており決して平和ではなかった。
彼らが共通して欲しているのはメランジと呼ばれる香料(スパイス)である。これは砂しかない荒涼たる惑星アラキスでしか採取・精製できないが、航宙士がスペースジャンプをしたり、ベネ・ゲセリットが力を発揮するのに不可欠とされており、どの勢力もアラキスに注文していた。
皇帝は、台頭してきた勢力であるアトレイデス公爵家を、子飼いであるハルコンネン男爵家と対立させようと画策するが、それに対してスペースギルドから、「アトレイデスの跡取りであるポール・アトレイデスを殺せ」という謎の進言を受ける。
その策略により、ハルコンネン家に代わり惑星アラキスへの着任を任じられたレト・アトレイデス公爵は、それらの策略をすべて読みつつも移住を完了させるが、ハルコンネンの手は想像以上に早く、より深く迫っていた。
身内の裏切りからハルコンネンの侵攻を許し、ㇾトは殺害される。レトノ妾妃・ジェシカとその息子ポールは辛くも逃げ延び、砂漠の民・フレメンに助けられる。
そこでポールは自らの運命を知るのだった・・・

この映画は中学生の頃に封切られ、直接劇場では見なかったが、ほどなくしてテレビ放映されて、その圧倒的な映像美と世界観に衝撃を受けた。
しかし、話があまりにも難解で、出てくる固有名詞も「ベネ・ゲセリット」「ムアディブ」「クイザッツ・ハデラッハ」などなじみがない名前ばかりで訳が分からなかったため、ちょうどSF小説にはまり始めた時期だったこともあり、原作のフランク・ハーバートの小説を集め、読み出したところ大ハマりした。
もちろんすべて内容を理解できたわけではなかったが、厨二心をグリグリとえぐりくすぐる設定目白押しで、なんてカッコいいんだろうと感動したのを覚えている。
一度小説を読んでから再びこの映画を観ると、制作者の思い入れの深さと、精緻な映像に再び感心し、より没入できるようになった。

後で知ったのだが、映画自体は大コケで、評価もかなり悪かった。デイヴィッド・リンチ監督自身が本作を失敗作と認め、自身の経歴の中の黒歴史的な扱いをしているほどである。
というのも、もともとリンチはこの作品を4時間半で製作したのだが、映画会社から劇場公開にそぐわないとして切り刻まれ、2時間17分に短縮されて封切られてしまった。
当然ながら話はダイジェスト映画のようになり、ところどころつじつまも会わないし心的描写も足りないという残念な映画になってしまったのだった。
また、のちにTVでは189分の長尺版も放映されたのだが、これもリンチの意向はまったくくみ取っておらず、適当な挿絵だけの状態で冒頭7分も延々と続く冗長な説明読み上げから始まるといういただけない内容で、ちょっとだけ劇場版でカットされた幻の映像が使われていたことだけがよかったという悲しい編集。これに自分が監督であるというクレジットを使われるのを潔しとしなかったリンチが、監督名を偽名「アラン・スミシー」に変えたほどである(この「アラン・スミシー」は、当時のハリウッド映画業界で、プロデューサー優位で立場の低かった監督が、自分の意に沿わずに出来上がった作品に抗議する際に慣例的に用いられてきた偽名である)。
でも、個人的にはそれでもこの映画は好きで大傑作だと思っている。
とにかく美術や衣装が半端なくすごい。これを映画を撮るためだけに作って、撮影したら壊しているかと思うと何と贅沢なことをしているのだろうかとため息をついてしまうほどに美しく荘厳。
そして役者たちの演技も素晴らしい。難しい役どころだが、映画初出演・初主演のカイル・マクラクランは見事にポールを演じて見せた。のちにツインピークスをはじめとする様々な話題作に出演することになる。
そして一番は巨大な砂虫(ワーム)、そしてフレメンからは「シャイフルド」と呼ばれるサンドワーム。これのスケールの大きさ・迫力がとにかくすごい。

ただ、小説版の名前になじみがあったので、劇場版とのちょっとした際に改めて気がついて気になった。

 小説版  劇場版

 ムアドディブ ムアディブ

 フレーメン フレメン

 クイサッツ・ハデラッハ クイザッツ・ハデラッハ

 アトレイデ アトレイデス

などなど。
小説版でなじんでいたので、こっちに合わせてほしかったなぁ。まあキメの問題だが。


今回改めて「日本公開30周年記念特別版Blu-Ray」を買ってしまったのだが、それで改めてポールがサンドワームに搭乗するシーンを見ると感動のあまり鳥肌が立って涙がにじんでくるほどである。ああかっちょええ。
この特別版を見て初めて知ったのだが、リンチの前にホドロフスキーという人が映画化しようとして挫折していたようだ。そのキャスティングがまたすごいのだが、これはまた別の話で、ドキュメンタリーが「ホドロフスキーのDUNE」というタイトルで映像化されているようなので、何とか視聴して別の機会に紹介したい。


それにしてもまた「砂の惑星」がマイブームになってしまった。
今度封切られるリメイクも観よう。小説も読み返そう。

 

 

 

転生したらスライムだった件(アニメ 2018)

本作は元々小説投稿サイト「小説家になろう!」で連載されていたが、その後WEB版をプロットとした商業版小説が出版され、コミック化、アニメ化など複数のメディアで展開されている作品。
ただ、小説も漫画も読んだことがないので、最近見終わったアニメ版をベースに以下ネタバレ注意。

37歳の会社員・三上悟は平凡なサラリーマン生活を送っていたが、ある日会社の後輩をかばって通り魔に刺され、死んでしまう。
すると、異世界の洞窟でスライムとしてよみがえったのだった・・・

普通、スライムと聞くとロールプレイングゲームの最弱モンスターという印象だが、本作では悟が転生したスライムが、異質な物質を吸収したり敵と戦い、様々なスキルを身に着けていくことで、だんだん強くなっていく。
洞窟の中で、封印されていた暴風竜・ヴェルドラと知り合い、友達になったところで、お互いに名前を付けあうことになった。ヴェルドラは狂暴で世界を圧倒しまくった強大な竜だが、根は素直で寂しがりだったので、数百年ぶりに現れた会話できる相手ができて喜んだためである。スライムはリムルと名付けられ、ヴェルドラとリムルは同じ姓・テンペストを名乗ることで契りを交わした。
この世界では名前が付けられると、名付け親から魔素というエネルギーを分け与えられてより強大になる。リムルも名前を付けられたことで強化された。
リムルの固有スキル・「捕食者」で封印ごとヴェルドラを自分の仮想空間に取り込み、ヴェルドラは中から、リムルは外から封印を解析して解除することにして、リムルは洞窟を出た。
そこはジュラの大森林と呼ばれる地帯で、魔物が生息する地域だった。リムルはそこでゴブリンの一族と出会い、乞われて盟主となる。
その後も様々な魔物と出会い、仲間に加え、周りの国からも無視できない規模の集団へ成長していき、ジュラ=テンペスト連邦国を樹立する。
そのあと、世に10人いるという魔王たちと知り合いになったり、目覚めた災厄クラスの魔物と戦ったり、隣国に狙われて戦争になったり、ついにはリムルも魔王になったりするのだった・・・

とにかくリムルの「捕食者」というスキルが強すぎる。なんでも吸収して自分の能力にしてしまうわけで、どうしてこのスキルがリムルに備わっているのか、という理屈が欲しいところなのだが、まあそういう説明はエヴァンゲリオン以降、野暮ということになっているので致し方ない。
そして捕食者以上にチートなのが「大賢者(エイチアルモノ)」というスキル。最初はよくあるRPGの「レベルが上がりました」的な声(世界の言葉)の担当というだけだと思っていたのだが、次第にこの声がどんなことでも演算して解を出してくれて、戦闘まで代わりにやってくれるという便利さ。
平坦な機械的発声なのだが、だんだん自我が感じられるような応答になっていき、魔王覚醒時には「智慧之王(ラファエル)」にまで進化してしまうのがよくできている。というかリムルの危機脱出はほぼほぼこの大賢者に頼りっきりであり、これがなかったら何度も詰んでいる。こいつが反逆したらどうなるんだろう?この先であるのそういう話?

また、元人間の転生者で現スライムという状態が象徴的なのは、魔王に進化するために1万人の人間を殺さなければならないという状況で、仲間を生き返らせるためとはいえ躊躇なく敵対していた軍隊を全滅させたところ。普通の物語であれば元人間としての葛藤を描きたくなるところなのだが、そこをぐっとこらえているのかいないのか、ほぼ語られることなくあっさりと殲滅しているところが新しいと思った。

仲間たちがリムルに反目することはなく、あくまでもどこまでも従順。ここも、通常であれば主に反発する部下や、ライバル視してくる別の国の盟主などが出てくるのがセオリーだが、それを敢えて触れないところに好感が持てる。
そして名付けシステムが非常によくできている。名のない魔物に名前を付けると、名前を付けた方の魔力が付けられた方に移動し進化するという仕組みがよく考えられている。これがあるとストーリーが大きく膨らむし、強い動機付けにもつながってわかりやすい。

小説版はずっと先を行っているようだが、アニメを待つか、小説を読んでしまうか、う~ん悩ましい。

 

ホビット 思いがけない冒険(2012)

ロード・オブ・ザ・リング」の前日譚であり、三部作のうちの一作目。

以下、ネタバレ注意。

ホビット荘に住み、一人暮らしの生活を満喫しているビルボ・バギンズのもとに、昔なじみの魔法使い、ガンダルフが現れた。ガンダルフはビルボを冒険へ誘うが、日常生活に満足しているビルボにはその気がない。
ガンダルフを体よく追っ払い、おいしそうなマスのソテーの夕食を開始しようとしたビルボの家に、一人のドワーフが訪れる。ここに来ればいくらでも食べられると聞いた、と。
そしてあっけにとられるビルボをよそに食事を食べつくし、お代わりをねだる。そして次のドワーフが、さらに次のドワーフが・・・大切に貯蔵していた食物を10人以上のドワーフたちに飲み食いされ、茫然自失のビルボ。
そこにガンダルフがやってきて宴会に加わった。
ドワーフは邪竜・スマウグに支配されてしまった自分たちの国・えれボールを再建するための旅に出るところだった。助力を壊れたガンダルフは、助っ人としてビルボを咥えたのだった。
最初は旅への動向を拒んでいたビルボだったが、身の内から湧き上がる冒険への憧れに抗しきれず、旅の一員として加わった。

一行は旅の中継地点にあるエルフの里・裂け谷へ到着する。エルフは大小の大きさからドワーフの国がスマウグに襲われている際に助太刀に入らなかったため、両者は良い関係ではなかったが、ガンダルフが間を取り持つ形となった。
ガンダルフは領主エルロンドとエルフの長の妻・ガラドリエル、魔法使いサルマンと会談し、サルマンとエルロンドはドワーフたちの試みをやめさせようとしたが、ガラドリエルはひそかにガンダルフを支援する。
半ば強引に出立したドワーフ一行は、ゴブリンの罠にかかり捕らえられるが、遅れて到着したガンダルフの支援によりゴブリンを圧倒、逃げ出すことに成功する。
一方、途中ではぐれたビルボはゴブリンとの戦いの最中に谷底へ落ち、そこで醜悪な姿をしたゴラムに出会う。
ゴラムに食われそうになったビルボは機転を利かせ、彼を翻弄したが、その際にゴラムが落とした指輪を拾う。その指輪こそ、その後の「指輪物語」の鍵となる姿を隠せる指輪だった。
ビルボは指輪の力で脱出し、同じく脱出してきたドワーフたちと合流、その後オークたちに襲われるが、勇敢に戦いを挑み、ドワーフの長・トーリンを助けた。
彼らはガンダルフが読んだ大鷲によって救出され、一行は旅を続けるのだった。

最初に「指輪物語」を全部読破し、次に映画「ロード・オブ・ザ・リング」を観て、そのあとに本作を観たので、ビルボが若い!ガンダルフずっと爺さん!というところばかり感心してしまった。
しかし、映画を観るにつれて、この作品はその程度の凡作ではなく、圧倒的な映像美を誇る大作であることがわかってきた。
ストーリーは寓話的であまりリアリティはなく、ジェットコースター的な危機およびそれからの脱出が連続しているのだが、それを描写する映像と音響が素晴らしく、ひたすら感心しながら鑑賞することになる。
次々と視点の変わるカット割り、CGと実物の区別がつかない精細さ、人物一人一人の作りこまれた特撮など、最高の技術が結集して作り上げられた映画として名高いのもうなずける。
その割には「ロード・オブ・ザ・リング」ほど売れなかった。正直登場人物たちのキャラがあまり立っておらず、何より主人公のビルボが地味というのが残念ポイントだろう。「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公フロドは儚げな美青年だったのを思い出す。
また、ストーリーもわかりづらく、盛り上がりに欠ける感は否めない。なんというか、登場人物の悪意や失望、嫉妬などの負の感情ばかりが目立ってしまっており、沸き立つ高揚感や前向きな前進思考などのプラス感情があまり感じられない映画なので、ちょっと疲れてしまう感じ。
まあ、肩の力を抜いて、ストーリーには入れ込まず、映像美を楽しむ分には最高だろう。大画面で視聴したい作品。

 

サバイバル(1976 さいとうたかを)

「終末後の世界」系ではもっとも有名と言っても過言ではない漫画。

突如起こった大地震や洪水などの天変地異。一人だけ生き残ったサトルは、試行錯誤しながら一人で生き抜く術を編み出し、毎日必死で生きていく。

食べ物で苦労し、住む場所で苦戦して、やっと見つかった人間との関係もうまくいかず、トライアンドエラーの連続を味わいながらも、徐々にたくましく成長していき、両親と姉と再会するための長い旅に出るのであった・・・

アウトドアやサバイバル系の動画や記事の中でよくこの「サバイバル」に出ていたやり方、というのが紹介される。それくらい有名でよく読まれているということなのだろう。
だいたいこの系統の話は主人公がサバイバル技術をあらかじめ習得・熟達していて、まるで読者にマウントを取るがのごとく「ドヤァ!」とその技術をご開陳していくパターンが多くて辟易していたのだが、サトルは最初はただの現代の少年であり、何もできない中で、多くの失敗を重ねながら自然を相手に学んでいくところが共感を持てる。
ただ、こんなに失敗を繰り返してたら、この逆境の中ではすぐに死ぬよね?という疑問も当然ながら湧いてしまう。特に飲食物で下手をこいて体調が悪化する、という話の時は、普通ならこれで死ぬよなぁと思いながら読んでしまった。
もちろん主人公補正で死なないわけだが、こういうところはもう少し説得力を持たせた展開にしてほしかったかも。

あと、出てくる他の人間たちは、悪い奴らがあまりに多すぎる。もちろんこんな文明が大破壊されたあとに生き残った人たちなんて、「北斗の拳」や「マッドマックス」のような、「ヒャッハー!」と叫んでモヒカンで鉄鋲を打った革衣服を着ているのが自然なのかもしれないが、特に日本人だったらもう少し相互協力して生き残っていても良さそう、というのは甘ちゃんすぎるか。
この「サバイバル」の後半はまさにそういった悪人どもに対して、サトルがあくまでも性善説を前提にお近づきになって痛い目に会い、次は負けないぞ!的な仕返しをしたり逃亡をしたりする、ということの繰り返しなので、いわゆる「サバイバル技術」的なことはほとんど出てこないまま終わる。

あくまでも前半のサバイバル体験をめでるのが気軽な楽しみ方なのだろうけど、後半の抜け目なく悪人として生き残っている人たちと、それと対峙するいい人代表のサトルの駆け引きも、ほろ苦くも現実味があってよかった。

 

庵野秀明+松本人志 対談(2021)

 AMAZONらしいあざとすぎる対談。ゴリゴリのところを持ってきたな~。

庵野秀明としてはシン・エヴァ劇場版の公開が終わって、次はAMAZONで集客するために苦手なことを引き受けたのだろうと皆に思わせる感じ。でも無理して頑張ってる感がとてもよい。
対する松本人志も非常に緊張しており、意外と自分のフィールドの外の人間と話すのが苦手な人なんだなぁと改めて感じるところがある。

 面白いのは、二人ともモノの作り手側の責任ある立場の人間としてしゃべると非常にぎこちないのだけど、仮面ライダーウルトラセブンの話題になると途端に生き生きしゃべる出すところ。
庵野秀明が夢中になってウルトラマンのマニアック自薦シーンを語り続け、そののめりこみ具合を見た松本人志がケタケタ笑い続けるところがよかった。
二人とも相手を斟酌したり忖度したり絶対しないぞと腹をくくっているタイプなだけあって、本当に盛り上がる話題じゃないと盛り上がらないので、要はおっさんが盛り上がる話とはこういうことなのだろう。
難しいことで盛り上がっている人たちもいるように思われるが、それは語っている本人が気持ちよくなっているだけで、聞いている方はうんざりなのである。

対談と言いつつやはり松本人志がナビゲーター的役割で、庵野秀明が語り手を多く勤めている感じなのは、さすがに普段カメラに撮られることに慣れている人とそうでない人の違いなのだろう。まあ吉本プレゼンツだから当然なのだけど。

そして最後対談用のカメラの位置にダメ出ししたところはさすが庵野秀明だった。