観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

AKIRA(映画 1988年)

年末年始のNHKのリマスター版放映で視聴。

1988年、東京で新型爆弾が爆発して第三次世界大戦が勃発。
31年後の2019年、新首都ネオ東京では、アーミーとゲリラが衝突していた。
高校生の不良少年・金田は、仲間たちと共に敵対する暴走族との抗争に明け暮れていた。
ある日、ハイウェイで大立ち回りを演じた後、仲間の一人・鉄雄は、青白い肌と老人のような顔をしたタカシという少年との間で生じた事故により負傷、アーミーに連れ去られてしまう。アーミーの大佐は、自らが監視下に置く超常能力を持つ少年少女ナンバーズと同じ潜在能力がある鉄雄を管理下に置こうとする。
金田は取り調べ中に反政府組織の少女・ケイに一目ぼれするが振られる。
アーミーの病室に軟禁された鉄雄は超常的な能力に目覚め、幻覚に苦しめられる。哲夫の力を憂慮した、アーミー配下で保護されていた少年少女3人・ナンバーズの仕業であった。鉄雄は徐々に力を発揮できるようになり、能力を振るい力づくで脱出する。
金田は仲間たち、そして新たなナンバーズ候補の鉄雄の情報を得ようとしていた反政府ゲリラたちと共に、鉄雄を救い出そうとアーミーの施設へ侵入するが、鉄雄はそれを拒否。幻覚で見た少年・アキラの情報をナンバーズから入手し、自らアキラのもとへ向かう。鉄雄に仲間を殺された金田は、鉄雄を倒そうと決意する。
鉄雄がアキラのもとに向かい、施設を全開させてようやくアキラのカプセルを開く・・・

本作は若い頃に観ようとしたことがあったのだが、ストーリーに入り込めず挫折した。今にして思うと、当時はまだまだカッコいいスーパーヒーローや勧善懲悪のわかりやすい話しか受け付けない未熟な感性しかなく、本作の良さが理解できていなかったようだ。
今改めて観ると、妥協のない映像美に圧倒される。特に称賛されている冒頭の暴走族同士のハイウェイでの抗争シーンはすごい。非常に細かいところまで省略せずに書き込まれていて、これを全部アニメーターが手書きで描いていたのかと思うと敬意しかない。
ビルとビルの谷間から奥の道路の様子を映し、フォーカスが徐々に手前に移っていき、最後は手をかけている金網が映る、みたいな微細な描写が必要なシーンが惜しげもなく描かれていて鳥肌が立つ。
爆発のシーン、バイクチェイスのシーンなどの描き方もステロタイプな絵に逃げずにリアリティを追求した絵になっているので、ワンシーンごとに見せ場が来て飽きさせない。
治安の悪化した世界で軍隊が社会を管理しているディストピア的な世界観で、ナンバーズや鉄雄は超常的な力を持ちつつも多大な代償が必要、というシリアスな状況の中で異彩を放っているのが主人公の一人・金田。どんなに打たれても凹まず、この話の中では違和感さえ感じてしまう能天気さとポジティブさで状況を打開していってしまう。
鉄雄側の圧倒的な超常能力に立ち向かうにはそれくらいでないと釣り合わないのだろう。
なんでこの人だけ名字で呼ばれているのか謎だったが、視聴後にググったら「鉄人28号」の主人公・金田正太郎へのオマージュとのことであった。そういうことでしたか。
ヒロインのケイがもうちょっとかわいければよかったと思うのだが、大友克洋作品では致し方ないところ。本作の5年前に公開されたアニメ映画「幻魔大戦」でも大友克洋のキャラクターだったが、原作小説では美少年ヒーローに美少女ヒロインなはずなのに、主人公はデコッパチだしヒロインはアーモンドアイのきつい顔立ちで、だいぶブーブー言われていた。でも雰囲気には非常にマッチしていて、今ではあのキャラでなければ考えられない。
それにしても金田のバイクがカッコよすぎる。今見ても全く古びていない斬新なデザインとカラーリング。これを実写で実現させようと世界中のバイク好きが躍起になるのもわかる。いつか乗ってみたいよなぁ。
ラストについては詳細を避けるが、超常的な能力が枠に収まらずに飛躍・飛翔するイメージとなっており、様々な名作SFを彷彿とさせる描写となっている。
日本のアニメが世界的な評価を受けた代表的な作品であり、今なお色褪せない名作であることが改めて確認できた。
10回以上見ているが「幻魔大戦」も改めて観てみようと思う。

 

 

 

 

パリダカ漂流(島田荘司 1991)

ミステリ作家 島田荘司旅行記。たまたま図書館で手に取って興味が湧いたので読んだ。

前半3日ほどはエジプト・カイロで、知人のエジプト人の伝手でガイドを雇って観光。
ギザのピラミッドを見物。
ギザのピラミッドが如何に天文学上の数字を精緻に反映しているかについて詳しく解説している。
この人ミステリ作家だったよな、SF作家じゃなかったっけ?というくらい詳しい記述で、夢とロマンをそそる。
確かにピラミッドの大きさや方角、内部構造の角度や長さなどが、地球の公転周期など様々な天文学上の数字を反映しているという話はよく聞くし、子供のころから「学習と科学」や「小学〇年生」などの子供向け雑誌で盛んに取り上げられていたのでなじみ深い。
それを自分の目で生で観た時の感動を伝えたいという思いが文章から伝わってくる。
ガイドのハニーは非常に親切で、本職は別に持っているが、その合間を縫ってプライベート時間も使って便宜を図ってくれる。
普段自分が旅行する時にガイドを使おうという気にはなかなかならない。
円高だったからできたのか、島田荘司が既に売れっ子作家でお金に余裕があったからできたのか、単に僕がケチなだけか。
結局こういう、いい人との出会いが旅をいいものにする。
景色や食べ物の記憶もよいものだが、いい人に会って、親切にしてもらった思い出も心に強く残る。遠い地でも人の温かさやホスピタリティは共通であることが確認できるとホッとする。
後半は1991年のパリ・ダカールラリーにプレスとして参加した見聞録。
砂漠を走るレース、くらいしか知識がなかったのだが、こんなに過酷で、大人の世界で現実的な問題と無理くり相対しながら、綱渡りのような運営で実施されていることを改めて知った。
しかし、政情不安定な国もつっきるというのは正気の沙汰ではないわけで、実際作中でもイラク湾岸戦争に突入して様々な悪影響を及ぼしたり、治安の悪いところで参加者が銃で撃たれて死亡したりと、確実にレジャーではない求道的なレースとなっている。
世界中から注目されており、スポンサーが付きやすいということもあるのかもしれないが、いい大人たちがレースの完走だけを目指して金や人力を投入しまくっていく様は確かに爽快ではある。
しかし、砂漠の中を一日中200km/hで突っ走るレースと言うのは考えただけで尻がゾワゾワする。
島田荘司の立ち位置としては「プレスに同行して観戦旅」。気楽に見えるが、道中は砂漠の中でのテント泊を強いられ、風呂にも入れず、ほとんどサバイバルのような生活となる。それを誇らしく語っているのが、男の子っぽくてかわいい。
国から国へ飛行機で渡り、それぞれの地の中継地点まで行って、その日その日のゴールを観戦する。日々の生活は過酷になるが、やっていることは豪勢な遊びで、安全さえ担保されればこういうのを一生に一度はやってみたい。
また、道中、数年前に訪れて街角で1時間ほど立ち話しただけの物売りの美少女にもう一度会いに行く、というエピソードもキュンキュンした。いい話だなぁ。

Dの殺人事件、まことに恐ろしきは(歌野晶午 2016)

「葉桜の季節に君を想う」の流れで、こちらも有名なので読んでみた。ネタバレ注意。
それぞれ江戸川乱歩の作品のオマージュではあるが、内容はオリジナル。

[椅子? 人間!](元作品「人間椅子」)
人気女流作家にメールで付きまとうストーカーは元パートナー。自分にも後ろめたいところがあるので邪険にできず、ズルズルとやり取りを続けてしまう。
人間椅子」の要素を現代風に取り入れた話だが、元作品もほぼファンタジーで、そうはならんやろ、という展開。でも想像力をそそられる点ではよかった。
スマホと旅する男](「押絵と旅する男」)
元人気アイドルの女性とスマホでビデオ通話しながら旅をする男と知り合う。
こちらは逆に今どきこういう人がいてもおかしくない、と思わせる内容。
通信費が怖すぎてWIFIのないところでビデオ通話なんてしたことがないのだが、お金を気にせず使えばこういうこともできる。
最後はよくわからんかった。ホラー?
[Dの殺人事件、まことに恐ろしきは](「D坂の殺人事件」)
ラブホテル街で起こった殺人事件を、うだつの上がらないカメラマンと小学生男児が解決しようと奮闘する。
こんな頭のいい子供がいたらラブホ街などに埋もれさせずに、いい教育を受けさせてやりたいものだ。
というか通報されたら怖いので、男の子女の子を問わず、自分の子供ではない他人の子にコミュニケーションをとろうとは思わないので、ある意味ファンタジー
[「お勢登場」を読んだ男](「お勢登場」)
20も年の離れたバリキャリ妻を持つ主人公は、仕事を退職後は介護が必要な妻の父の世話をしているが、それにうんざりしている。
「お勢登場」からインスパイアを受け、よからぬことを思いつく。
まあそうなるよな、というラスト。でも腑に落ちない点がある。父はどうする?
[赤い部屋はいかにリフォームされたか?](「赤い部屋」)
劇中に殺人が起き、それはストーリーではなくマジもんだった。恐怖におびえる観衆。
最後のオチ必要かこれ?
[陰獣幻戯](「淫獣」)
自分は性的異常だと自認する男。いやいや、そんなの異常でも何でもないから。
と男性読者に言わせたいんだろうなぁ。
妄想の内容も行動もおっさんにはわかり味がありすぎて怖い。
[人でなしの恋からはじまる物語](「人でなしの恋」)
スマホ恋愛ゲームの話かと思ったら夫をカッとなって殺した女性の話。
行きがかり上、70代の孤独な男性と前科ありの20代女性が仲良くなる過程が少しだけ垣間見えたので満足。
でもオチはストーリーとほぼ関係ない。

10年ぶりか20年ぶりにミステリの短編を読んだ。
大学生の頃の読書サークルの先輩による「短編は切れ味が全て」という名言を思い出す。
本作も一編一編の切れ味が素晴らしく、指をスパッと切ってしまいそうな危うさと鋭さがある。
普段SFとファンタジーばかり読んでいるけど、たまにはミステリを読もうかな。

 

十角館の殺人(綾辻行人 1987)

35年前に読んだが、一番大きなトリック以外ほとんど忘れてしまっていたので再読。ネタバレ注意。

1986年、大分県K**大学の推理小説研究会のメンバーが、角島(つのしま)という孤島にやってきた。
ここは過去に、建築家・中村青司とその妻、および使用人の北村夫妻が、焼け落ちた中村邸「青屋敷」で見つかるという陰惨な事件があった跡地があり、その離れである「十角館」で合宿をするためである。
メンバーたちはお互いを著名な欧米のミステリ作家の名前にちなんだあだ名で呼び合っている。
医学部4回生で口ひげを生やしたポゥ、法学部3回生で捻くれた性格のカー、法学部3回生で金縁眼鏡、会誌「死人島」編集長のエラリイ、理学部3回生で不動産業の叔父がこの島を購入したヴァン、薬学部3回生でソバージュ女性のアガサ、文学部2回生で引っ込み思案なオルツィ、文学部2回生で小柄で眼鏡、童顔のルルウ。
一方、本土では、推理小説研究会及びその関係者宛に、かつて会に所属していて酒宴で事故死した中村千織について、殺されたと告発する怪文書が届いていた。
元研究会員の江南孝明は、彼女の親族である中村紅次郎を訪ねていく。そこにいた紅次郎の大学の後輩・島田潔と一緒に事件を解明しようと、今回の度には参加しなかった研究会のメンバーで江南の友人、守須恭一に話を聞く。
島では楽しい合宿がスタートしたかに見えたが、3日目の朝、メンバーの一人が殺される。ドアには「第一の被害者」というプレートが貼り付けられており、メンバーたちは自分たちの中に犯人がいるのではと疑心暗鬼になる。
そしてこれはこのあとに続く連続殺人の始まりに過ぎなかった・・・

学生の頃も今もミステリはあまり読まないが、周りに好きな人が多かったので、名作だけを選んで薦めてもらったのはとても幸運だった。本作もそのうちの一作。
しかし、思い出した思い出した。この大学サークル特有のアイタタタな感じ。
僕も大学の自分、似たようなサークルに入っていたので、イタいあだ名をつけて、スノッブっぽいことを言ってかっこつけている様子が、自分のことを言われているようでひたすら同族嫌悪で恥ずかしく、羞恥心が励起されていたたまれなくなる。
もちろん作者がそれを想定して書いているのは間違いなく、なんということをしてくれたのだ、オタクサークルへの偏見がより高まってしまうではないか、と当時思ったものだ。
ストーリー自体は、島と本土がパラレルで進行していく複雑な構成であるにもかかわらず読みやすく、きちんとわかりやすい事実確認が行われながら進んでいく。
メンバーたちが動揺して憔悴していく様と、残酷にも繰り返される殺人、少しずつ明らかになる本土での調査による過去の事実が折り重なり、最後の犯人の独白で一気に伏線が回収されるテンポが素晴らしい。
ただ、ミステリで連続殺人ものを久々に読んだおかげで、「こんなにポンポン人って殺せるんだっけ?」と改めて思ってしまった。
作中冒頭で語られている通り、ミステリは純粋な知的ゲームであり、殺人はそのシチュエーションにすぎないが、殺し屋稼業でもしていない限り、一人殺しただけでメンタルがやられて使い物にならなくなりそう。
それだけ犯人に強いモチベーションがある、という前提で理解しよう。
巻末の鮎川哲也の解説で「吹雪の山荘」の説明を読んで、「そして誰もいなくなった」(クリスティ)は読んでいたので、そういえばあったなぁと思い出した。
これはいろいろなドラマやアニメなどでも使われており、そちらですっかりなじんでいたが、言われてみれば本格物のパターンであった。
本作は日本の新本格ミステリの嚆矢と言われており、その栄誉にふさわしい堂々たるトリックとストーリー。読むのは2回目だが新鮮に面白かった。記憶力がないと楽しみが増えていいなぁ。
作中出てくる探偵役の一人、島田潔の出番があっさりしているなあと思ったら、このあと続く「館」シリーズを通した探偵役だったか。他の「館」シリーズは読んだことが一度もないので、いずれ読んでみたい。

葉桜の季節に君を想うということ(歌野晶午 2003)

推理恋愛小説、というおじさんには耳なじみのないジャンル。
久々にミステリを読んだ。ネタバレ注意。

警備やその他の仕事をしながら、それなりに女遊びもしつつ、フィットネスジムで体を鍛えることに余念がない成瀬将虎。ある日、普段つるんでいる高校生の弟分キヨシから、彼が片思いしている同じフィットネスジム会員で、良家の令嬢・久保愛子が困っており、相談に乗ってほしいと言われる。
愛子は「おじいさんは蓬莱倶楽部という健康器具を販売する会社に騙されていたように思う。そのせいで亡くなってしまった。証拠をつかんでほしい」と言う。
成瀬は若い時分、探偵見習をしていた。当時の知識と持ち前の行動力を駆使して、蓬莱倶楽部を調べ始める。
一方、成瀬は地下鉄で不審な女性、麻宮さくらを見かける。投身自殺のため彼女が線路に落ちたのを助ける。
自殺だとバレると面倒になると、駅員に対して事故だったという体で言いくるめ、二人して事務所を出る。
それが縁で、麻宮さくらとたびたびデートをするようになる・・・

一見すると確かに恋愛小説が始まったかのように思えるのだが、すぐに別のパートが始まり、それぞれが無関係に進行していくため、どこに視点を置いて読み進めればいいのか戸惑う。
現代の成瀬の蓬莱倶楽部調査、麻宮さくらとの恋愛未満の関係、過去若い時分に探偵見習で、ヤクザの潜入調査でさらに別の組に潜入するややこしい話、飲み仲間の安さんとのエピソード、古屋節子という借金を蓬莱倶楽部に付け込まれた女性の話。
主人公の成瀬はフィットネスジムで鍛えていて力自慢、女遊びが好きで、男性としての自信に満ち溢れており、過去編も現代編も、グイグイと力技で進んでいく。
それぞれの人間関係を大事にしており、相手を思いやりつつも時には破天荒な行動に出てしまうという、ちょっとおちゃめな乱暴者。
いろいろやりすぎてしまい、ピンチになってしまうものの、何とか切り抜ける冒険活劇としてストーリーは進んでいくが、最後のどんでん返しで、ああそうだったこの作品はミステリだったと改めて気づかされる。
ここで様々な伏線がすべて回収されるので、「え?なに?」と最初思考が追い付かない。
何度も読み返して、あれはこうだった、こちらはこうだった、そして最後にそれはそういうことだったかぁ!とすべて理解できた時の脳内快感がすごい。
久々に盛大に引っかかってしまった。
最後まで読んだ後に要所要所を読み返すと、読者の思考を誘導するミスディレクションが随所にちりばめられていて、緻密に計算された構成に改めて感心した。
ミステリはこの「ひっかかった!」「してやられた!」感でアハ体験ができるのが心地よい。その意味では非常によくできた快作だと思う。
2004年のあらゆるミステリの賞を総なめにした、とWikiにあるが、みな心地よかったのであろう。
しかし主人公の成瀬将虎は、ある意味男性の憧れの具現化とも言える。いろんな意味で、こんな男になってみたいなぁ。

岸部露伴は動かない 懺悔室(2025)

今年公開された劇場版。アマプラで観た。ネタバレ注意。

イタリアの大学の講演で招待された岸部露伴は、編集者の泉が指定した日より一日早く単身でヴェネツィアに乗り込んでフィールドワークに勤しんでいた。
そこでスリの男二人をヘブンズ・ドアーで退治したことが縁で、マスク職人で日伊ハーフの若い女性・マリアと知り合う。
観光で教会に行き、ふとした興味で懺悔室の神父の側に入ってみた露伴
するとそこへマスクをかぶった男が入ってきて、突然告解したいと言い出す。
露伴は好奇心が抑えられずそれを了承して男の話を聞き始める。
男・水尾は若い頃、この国で生活していくために、現地の男たちの執拗な嫌がらせを我慢しつつ土方の手伝いをしていた。そこへ、病気で何日も食べ物を口にしていないという浮浪者ソトバが現れ、食べ物を乞う。
水尾はサンドイッチを持っていたが、ただでやるわけにはいかない、ここにあるがれきを全部下に運んだらくれてやる、とソトバを突き放す。
フラフラのソトバは水尾に罵倒されて奮起するが、階段を落ちてしまい、死亡する。
上からその様子を見た水尾の足に、なぜか死んだはずのソトバが絡みつき、「お前が幸せの絶頂を迎えた時に絶望を味あわせてやる」と言い残す。
その後水尾はあり得ない程の幸運に恵まれて大金持ちになり、美しい妻とかわいらしい娘に恵まれる。幸福の絶頂とならぬよう、いつも少し損をしたり、何事も一番目を選ばなかったりと抜かりなく生活していたが、ふと娘を見て「幸せだ」と思ってしまう。
その瞬間に娘の体をソトバが乗っ取り、ポップコーンを該当より高く投げ上げ、口で3回キャッチしたら許してやるが、できなければ絶望を受けろ、と言う。
2回成功するが、3回目で失敗し、水尾は殺される。
なぜ水尾がまだ生きているのかを知るために、露伴ヘブンズ・ドアーで男の過去を読む。
殺されたのは、水尾ではなく、金に目がくらんで水尾そっくりに整形していた執事・田宮であった。水尾自身は逆にその執事の顔に整形し、この日に備えていた。
今度は死んだ田宮から「お前が幸福の絶頂にある時に絶望を味あわせる」と脅されており、もうすぐ娘が結婚式を挙げることから、告解に来たのだった。
水尾の娘が、露伴があったヴェネツィアマスク職人のマリアであり、マリアのフィアンセが露伴を講演に招いた大学の理事・ロレンツォであった。
露伴と編集者・泉にも次々とありえない幸運が押し寄せてきて、それはこの呪いに取り込まれたことを意味していた。
露伴はマリアとロレンツォに予定より一日早く結婚式を上げさせ、更に一計を案じた・・・

水尾がひたすらにゲスい。
こいつが意地悪で品がないばかりに、とうに受けるはずだった報いが遅れてまとめてやってきたということだろう。
まあ、死んだはずのソトバの呪いがどう発動しているのかは、例によって謎なままなのだが、そこは本作にとっては重要ではない。
怪奇的事件に巻き込まれた露伴先生が、常識にとらわれず、怪異のルールにのっとり、それを解決していくところに醍醐味があり、本作でもそれがいかんなく発揮されていた。
映画でやるにはちょっとエピソードが弱かった気もするし、最後のオチはすぐ想像できてしまう。まあ、ここはあまり見せ場ではないのだろう。
ヴェネツィアの街や教会、美しいマスク達の映像がひたすら素晴らしい。これは劇場で観たかったかも、と思わせるものがあった。最近はそういうの多いなぁ。やはりお金や労を惜しまず、劇場に足を運ぶべきなんだろうなと改めて思った。
露伴先生と泉君は現実では夫婦であり、それを思うとひたすらに微笑ましくなってしまう。それはもう仕方がないよね。

 

ゼロ・グラビティ(2013)

以前、友人から本作をお勧めされたことをふと思い出して、アマプラで視聴。盛大なネタバレ注意。

NASAの女性宇宙飛行士ライアンが、ハッブル宇宙望遠鏡で船外作業をしている中、大量のスペースデブリが飛来してくるという緊急の警告を受ける。

ロシアが自分たちの人工衛星を爆破・廃棄したところ、その破片が飛び散って拡散するケスラーシンドロームが発生したのであった。
ライアンらは避難しようとするが間に合わず、スペースシャトルエクスプローラー号」も主翼に被害が出る。
同僚のシャリフはデブリ直撃で即死、ライアンと同僚のマットは辛くも生き残り、マットの冷静な判断で二人をロープでつなぐことがに成功。
二人はシャリフの遺体をエクスプローラー号に運び入れるが、ここも直撃を受けて大破しており、乗組員全員が死亡していた。
二人はエクスプローラー号での帰還はできないと判断、燃料が残り少ない姿勢制御ブースターを使いISS国際宇宙ステーション)に向かう。
酸素不足で不安が増すライアンに対し、地元の昔の話などを聞き出すマット。ふさぎ込みメンタルが不安定なライアンを元気づけようとしてのことだったが、幼くして亡くなったライアンの娘の話になり、気まずくなる。
ようやくISSに到着するが、こちらも破損がひどく、帰還に使おうとしていたソユーズ宇宙船のうちの一機は既に離脱しており、もう一機も大気圏降下時のパラシュートが既に開いている。
マットは残ったソユーズで100km先の中国の宇宙ステーション「天宮」へ行こうと提案する。
しかし、ISSへ近づいた二人は減速ができず、ISSから弾き飛ばされそうになる。
ライアンの足がかろうじてパラシュートのロープに絡まっているが、二人分の質量による慣性が強すぎて今にもほどけそうで、そうなると二人とも宇宙を永遠に漂流することになる。
そこでマットは自分のフックを外し、ライアンに生き延びろと言い残して、自分を犠牲にして宇宙空間をただよい去っていく。
酸素が欠乏し意識がもうろうとする中で、なんとかISSにとりついたライアン。しかしすぐISSの中で火災が発生。
ソユーズで脱出しようとするが、パラシュートのロープが絡まって脱出できない。
船外活動で何とか外し、その間にも大量のデブリISSを大破させる。
ソユーズに戻ったライアンは発進しようとするが、姿勢制御で燃料を使い果たし、エンジンが動かない。
無線で救助を求めたところ、地球のイヌーク族の男とつながる。
赤ん坊の泣き声を聞いたライアンは、娘がいる死後の世界に思いを馳せ、酸素濃度を下げて自死をはかろうとしたが、窓の外をノックする音が聞こえた。
そこにはマットがおり、彼は強引に船内に入って、着陸用逆噴射を使えとアドバイスし、忽然と姿を消したが、それはライアンが見た幻であった。
しかしまた生きる活力を見出したライアンは逆噴射を操り天宮へ向かうのであった・・・

もっとヒューストンの管制室がいろいろと指示をしたり検討したりするシーンがメインで展開するのだと勝手に思い込んでいたが、それだと「宇宙兄弟」になってしまう。
本作は無線が切れて管制室とはつながらない中での孤独な奮闘の話だった。
ライアンが陰気で不安定で、感情を優先して仕事をてきぱき進めないので相当イライラする。
アマプラの評価も存外に悪く、ほとんどが「こんなデキナイ人が宇宙飛行士をやっちゃいかん」的なコメントだった。
ただ、いわゆる典型的優等生な宇宙飛行士が、この危機に直面してベストを尽くし、てきぱきと物事を片付けて、やれやれ帰還したぜ、と言われても何にも面白くない。
我々のような陰キャでオドオドしていて対外的に自信のない人間が、不器用なりに自分の中のポテンシャルを極限状態で引き出す、自己開示的な能力の発露がストーリーとして面白い。
その意味では主演のサンドラ・ブロックは、不器用だけど不屈の闘志を内に秘めたライアンを好演していた。
「そこで脱がなくてもいいだろ」と言うところでやたらと宇宙服を脱いで下着姿になり、均整の取れたボディラインを強調するシーンが多かったが、それはサービスカットだろう。
それに引き換え、ジョージ・クルーニー演じるマットの行動がどうにも不可解。
あそこで自分を犠牲にしなくてもやりようはあったはずだし、そんなに簡単に自分をあきらめちゃいかん。
まあ、途中で幻となって表れる役どころとして、途中退場は必然だったのかもしれないが、それにしてもあれはないよな、と言うやるせなさが残る。
それにしても地球の映像がものすごく美しい。どこまで実写でCGなのかはわからなかったが、奥行きのある構図と広大な地球がマッチしていて、これを観るだけでも映画館に行きたかったと思わせる。
最後のクライマックスの映像美も迫力満点。ここでカタルシスを得るために、それまでライアンの失敗続きでストレスフルな展開を我慢して観ていたわけで、いやっほ~!と叫びたくなる爽快さだった。

この映画を薦めてくれた友人に感謝。