観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

ドラゴンボール EVOLUTION(2009)

Prime Videoでたまたま見かけて観た。

いや、もちろんわかりますとも。世界中から酷評を受けたかわいそうな映画だってことは。でもそういう映画ほど気になるのも事実じゃない?
ということでダメなことはわかった上で、更に可能性を見出してみようじゃないか。

本来の超常的なパワーを隠し、通常の高校生としてアメリカのハイスクールにかよっていた、見かけはどう見ても白人の孫悟空。一人も友達がいない中、唯一の肉親である祖父によって格闘技の訓練を行わされており、その力は若い可能性によってますます強力に育っていったが、彼が18歳の誕生日、学校で知り合ったアジアン美人チチのパーティーに行っている間に襲撃され、祖父は死んだ。
7つの球を集めて神龍を呼び出すと、どんな願いも一つだけかなえてくれるドラゴンボール。これを狙ったピッコロ大魔王とその手下の仕業であった。
悟空は祖父である悟飯から勧められた師匠、武天老師や、ドラゴンボールの所在地を調べることができる ドラゴンレーダーを開発した発明家で冒険家のブルマ、盗賊として邪魔してくるが次第に仲間になるヤムチャたちと旅をしつつ、ドラゴンボールを回収していく。
そんな中武道会に出場しようと鍛錬を続けているチチに出会い、恋に落ちつつもドラゴンボール集めに邁進する悟空。
また、武天老師は可能性はこれしかないと思われるピッコロ封印のための準備を周到に行っていた。それを使えば自分の命が必要となり、二度と立ち上がれなくなるのがわかっていながら・・・
そして懸命の防衛もむなしく、7つのドラゴンボールはピッコロ側に奪われ、日食の日に行われる神龍を呼び出す儀式を阻止してピッコロを倒すべく、孫悟空たちは立ち上がった・・・

まあ正直シチュエーションはパクリばかりで恥ずかしげもない感じ。
・冒頭の修行シーンはジャッキー・チェン蛇拳酔拳
・おじいちゃんが送り出す、いじめられっ子の学生生活だが実は強いのはベストキッド
・ピッコロが吐き出したネバネバ戦闘員は効果音含めてエイリアン
・ピッコロの俳優がイケメンの白人顔し過ぎていて引く。もっと異星人感が欲しい。

などなど、「パクリだけど好きだから入れた!」という潔ささえ感じる。
ポリコレにも十分配慮があり、ヒロインのチチはアジア系で適度にかわいくなく、ヤムチャも大陸系アジア男性の非イケメン、敵側の手下は当時ハリウッドで孤軍奮闘していた田村英里子。懐かしい~!
ポポも威厳のある黒人住職になっていて、適材適所だった。
何より物語の展開が早く、多少雑で強引なところがあるにせよ、物語の疾走感を殺さないように配慮しているところには非常に好感が持てた。
ただなぁ、大猿のくだりはほんと処理が難しいところなのよ。
ああいう「正義の心で!」みたいなあいまいな処理はほんとは望ましくないし、
原作にある、シリアスなコアストーリー中もちょっとギャグっぽいアクションを
転換点にもっていく、というあたりは、さすがにハリウッドごときでは繊細過ぎて
昇華しきれなかったと思われる。

やはりあのスーパーウルトラビッグネームの劇場化ということで、本来であればAmazonNetflixのように金のある資本ががっつり本気で取り組むべきではあったが、たまたま版権を抑えたのが「日本漫画原作って、低予算でもまあこの程度盛り上げてアメコミっぽくしといたら面白くなるっしょ」的なノリの団体で、でも一応プロの仕事として妥協なく丁寧に作ったらこうなった、という落としどころだったのではと想像する。
あの原作ならもっともっと、100倍も1000倍も面白くできたのに、と憤慨するファンの気持ちはよくわかるのだが、たまたまこの版権の映画化をする人たちが、原作をモチーフにして好きな東洋系のガジェットを無秩序に、でも低予算で楽しく盛り込んだのが本作と考えると、そういうの、嫌いじゃない。作っている人の楽しさが伝わっている系は大好物なので、本作もストーリーを観進めながら「かなりいけるじゃん!」へと評価が変わっていた。もちろんそこには「あのすげえ原作を断念する」という断腸の決断が発生するわけだが、そこさえ乗り越えてしまえば楽しく時間を過ごせるよくあるハリウッド作品であった。
無駄遣いにもほどがあるのは間違いないわけだが。