観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

新少林寺(2011)

 タイトルから、てっきりリー・リン・チェイ主演の「少林寺」「少林寺2」の続編かと思ったら、ほとんど関係なかった・・・

1910年代の中国。様々な勢力が相争い、少林寺も巻き込まれていく。

無慈悲な軍人だった主人公はある時改心し、少林寺を守るために立ち上がる。

寺を守るため、少林寺の僧たちも軍隊に立ち向かうのだった・・・

これ、Amazonの評価がやたら高いのだけど、なんで?

もちろん期待しているものと全然違ったという失望感が強いのは否めないので、映画単体としてみたらまだマシなのかもしれないが、ほぼカタルシスもなく、戦いの無常さだけが全編通して染み渡り、派手なアクションがあるわけでもなく、つらい雰囲気が最後まで続く。

ただ、主演のアンディ・ラウは相当かっこよく、演技も立ち回りも群を抜いている。この人が頑張っているおかげで全体が締まり、緊迫感と臨場感のある映画に仕上がっている。

また、「カンフーって強そうだけど、銃で撃たれたら終わりだよね」的な、格闘技へのアンチテーゼを真正面からとらえたらどうなるか、というテーマに取り組んでおり、まあぶっちゃけ銃をぶっ放されたら何もかも終わりなのだが、引き金を引く人間に必要な覚悟のところまでを粘っこく描いていて、ちゃんとカンフーと銃が両立する世界を描いているのはなかなかすごいと持った。

新少林寺 (字幕版)

新少林寺 (字幕版)

  • 発売日: 2014/09/24
  • メディア: Prime Video
 

 

少林寺木人拳(1976)

 まだ売れる前のジャッキー・チェン主演カンフー映画

口が利けない主人公は少林寺で下働きしながら修行している。ある時、ふとした拍子に寺のはずれにある洞窟へ入ったところ、中には髪も髭も長く伸びた、汚い衣をまとった囚人が鎖につながれていた。

囚人を気の毒に思った主人公は食べ物や酒を彼に与え、そのお礼としてカンフーを習うことになる。

また、習った技を一人で練習している主人公を見かけた、寺の管長の友人という尼僧にも、別のカンフーを習うことになった。

そして彼は寺を出るため、卒業試験である「木人」という木製のからくり人形の群れと戦い、その房を通り抜けて試験に合格し、寺を出る。

寺の外で、例の囚人が脱走したことを知るが、その囚人こそは彼が探し求めていた親の仇だった・・・

正直、ストーリーはどうでもよい。話は少々とっ散らかり気味で散漫な印象を受けるし、終盤の親の仇とのカンフー戦も、まあ迫力はあって見ごたえはあるがやや見劣りがする。本映画の本当のクライマックスは中盤にある木人たちとの戦いにある。

この木人がなんともぎこちなくて、人力で鎖を引いて手足を動かしているだけな感じなのだが、なぜかこの木人がぎっこんばっこんしている通路を通ろうとすると、試験を受ける者はコテンパンに叩きのめされてしまうという謎の回廊となっている。

しかし、これを巧みなカンフーの技でジャッキーが通り抜けていくと、スリリングで迫力のある戦いになってしまうんだよなぁ。不思議でしょうがない。

でも、実際木人は強そうに見えるし、一定の力があるものでなければ突破できなさそうに見えてしまうのが、演者の演技力なのだろう。

この時のジャッキーは22歳。まだ目を二重に整形する前だとかで、やたら目の細い野暮ったいにーちゃんなのだが、アクションはすでに巧みで素晴らしい。もうちょっといい脚本家がついていたらこの映画でもっと火がついていたのかもしれないなぁ。

少林寺木人拳(字幕版)

少林寺木人拳(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

超芸術トマソン(1987)

 みなさんも一度や二度、見たことがあるのではないだろうか。

壁の真ん中あたりに扉があり、どう考えても出入りできなさそうなやつ。

もしくは、壁に向かって階段が上がっていき、どこにも行けないやつ。

または、庇(ひさし)だけあって窓が存在しないやつ。

赤瀬川源平は、この奇妙な都市の残留物に気が付き、仲間たちと事例を収集したところ、思った以上にあちこちに存在することを突き止めた。

ちょうどそのころ、読売巨人軍では、メジャーから招聘されて長らく四番の座についておきながら、まったく打てずに成果が出せていないゲーリー・トマソン選手が、いたずらにバットで空を切りまくっているところだった。

「これだ!大事に保存されていながら全く何の役に立っていない。この建築物たちを、トマソンと名付けよう!」

赤瀬川源平はこの建築物を超芸術トマソンと名付け、収集を本格的にスタートしたのだった。

この本はそのトマソンの成り立ちと、実際に集められた事例が紹介されている。

こういうばかばかしいことを大真面目に、それなりに学もあり頭も切れる大人たちが本気でやると、素晴らしいことに昇華されるという好例。

まるで無秩序にきらめくだけだった空の星が、星座を知った途端に規則的で整然とした並び方をしているようにしか見えなくなるように、一度トマソンを知ってしまってから街を歩くと、あちこちにトマソンが見えてしまって止まらなくなってしまい、それがものすごく得をした気分になる。

トマソンを「変わりゆく都市の残留思念」と表現した人がいるが、うまいこと言うなあ。トマソン自体はたまたま結果的に保存されてしまっただけで、意図的に大事にされているわけではないのだが、過去何らかの目的があってその造形が行われ、以後活用されずに放置されているところは、都市という生命が別の方へ意識をそらした結果であるようにも見える。

街に人が住み、人々が暮らしの中で生活に合わせた建築を行っていく限り、トマソンは生まれそして消えていくのであろう。かっちょいい!

超芸術トマソン (ちくま文庫)

超芸術トマソン (ちくま文庫)

 

 

仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦(2012)

 過去に見ていたが、Youtubeで無料版が出ていたのでついまた最後まで見てしまった。もう8年前なのこれ・・・時がたつのが早すぎる。

仮面ライダーディケイド=門矢司がスーパー戦隊を、ゴーカイレッド=キャプテン・マーベラス仮面ライダーを、それぞれを滅ぼそうと攻撃を始めた。事情が分からないまま巻き込まれていくヒーローたち。

仮面ライダー側はディケイドとフォーゼ、スーパー戦隊側はゴーカイジャーとゴーバスターを主軸にストーリーは進んでいき、どちらの数も減っていって、とうとうディケイドとゴーカイレッド二人だけが残った・・・

正直ストーリーはどうでもいい。画面を埋め尽くす大量のライダーと戦隊の皆さんがわさわさとしているシーンが見れただけでもおっさん感無量。

まあ、スーパー戦隊の方は見たり見なかったりなので正直誰がどれだかあまりわからないのだが、ライダーは全員わかるのでありがたい。

ただ、ライダーはサブライダー(最近のライダーは複数人出てくるのが当たり前なので、主役ライダー以外をこう呼ぶ)があまり出てなかったのが残念。その数を含めればもっとわさわさ感が出たのになあ。

きちんとそれぞれの見せ場も作っていて、カードデッキを使う系のライダー(ディケイド・ブレイド龍騎)にゴセイジャーのカードを渡したり、ゴーカイジャーにオーズ最強フォームのキーを渡したりするところが憎い演出。

声優がメインで演じていてスーツアクトの時は使いやすいのか、ちょっと昔のライダーなのにやたら電王勢がぺらぺらしゃべりまくっているのもよい。

しかしディケイドとゴーカイジャーは劇場版になるとやたら出てくるな。

ディケイドは平成ライダー10周年記念作品、ゴーカイジャースーパー戦隊35周年記念作品で、それぞれ過去のライダー・戦隊に変身できるのが売りなので、こういう時は手っ取り早くいろんなスーツが使えて使い勝手がよいのであろう。

見る側も懐かしのヒーローがいろいろ見られて嬉しい。

できれば最後の巨大ボスには戦隊のロボットわさわさで対抗してほしかったが、さすがにお金がかかりすぎると見えてそういうことにはならなかった。致し方なし。

仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦

仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦

  • 発売日: 2014/04/01
  • メディア: Prime Video
 

 

Fight Club(1999)

 伝説の有名作品。

ごくごくまっとうな生き方をしていた主人公は、何か足りなくて、深刻な不眠症に悩まされていた。

その足りないものを何とか埋めようと、病気のふりをして自助会にこっそり参加してお互いに励ましあったりして、そしてそれをいっぱい掛け持ちして、満足感を得ていた。

しかし、同じことをしているマーラという女性がいることに気づき、「偽物がいると気が散る」と彼女を遠ざけようとするがマーラは聞く耳を持たず。

思い通りにならずにやきもきする中、仕事で各地を飛び回っている際にタイラーという男と出会う。

その後、なぜか自宅を爆破されてしまった主人公はタイラーのもとに転がり込む。そしてタイラーは彼に言った。「俺を殴ってくれ」と。

主人公とタイラーはお互いに殴り合い、これまで感じたことのない満足感を得てぐっすり眠るのだった。

それ以降二人は殴り合い、それに興味を持った男たちがどんどん増えていき、その集会をタイラーは「ファイトクラブ」と名付け、ファイトクラブは瞬く間に広まっていった・・・

正直な話、殴るのも殴られるのもすごくイヤ。まあみんなそうだと思うけど。

なのでこの人たちが殴ったり殴られたりすることで得るカタルシスがどうにも理解できないのだが、そういうものだと思って観ると、酒でも麻薬でもない、別のもので脳内のエンドルフィンだかドーパミンだかがドバドバ出ている状態なわけで、それはそれでありなのかなあと思わされてしまうところがよくできている。

中盤以降はタイラー及びその親衛隊的な「スペースモンキーズ」たちの暴走による騒動がメインになっていき、そして最後のどんでん返し。そうくるかぁ。

全然気が付かなかったわ。

映画としては最後ハッピーエンドっぽい終わり方をしているが、これ全然問題解決してないよな。事後処理のことを考えると主人公めんどくさそうだなあと他人事ながら心配になってしまった。

Fight Club (字幕版)

Fight Club (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

コナン・ザ・バーバリアン(2012)

 昔よくBSで「コナン・ザ・グレート」が放映されており、そちらは1980年代にアーノルド・シュワルツェネッガーが主演していたのだが、本作はそのリメイクにあたる、のかな?

戦争に明け暮れていた先史時代。戦場で母の死と引き換えに誕生したコナン。ある時、村がアケロン族の襲撃に会い、父親が惨殺される。

父の仇を探し20年、ようやく仇を探し当てたコナンは復讐に立ち上がる・・・

ロバート・E・ハワードの原作が好きで何作か読んだことがあり、シュワちゃん版はそのファンタジー世界がそこそこ再現されていたが、こちらはさらに上をいくリアリティのある演出。

風景や都市などもよく作りこまれていて、スケールがさらに大きくなっている。

ただ、原作はあくまでもコナンがめっちゃ強くてさまざまな困難もチート過ぎるその体力と戦闘能力でバンバカうち破って何とかしてしまい、いい女もゲットするという、神話的なストーリー展開だったのに対して、登場人物たちは感情豊かで様々な苦悩を経験し、葛藤の中でそれぞれが戦っている、少し現実味を帯びた設定。

シュワちゃん版は神話っぽいところがすごくよく出ていたので好きだったのだが、本作はもっと卑近な人間味があふれた登場人物たちによってストーリーが進んでおり、これはこれで今風なのかもしれない。

戦闘シーンはド迫力でアクションは秀逸。オリジナルの映画としては十分に楽しめる。

でもまたシュワちゃん版も見たくなっちゃったな~。

コナン・ザ・バーバリアン (字幕版)

コナン・ザ・バーバリアン (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

トゥルーマン・ショー(1998)

 トゥルーマンは明るく正直でまじめな普通のサラリーマン。少しだけ他と違うとすれば、その生活が24時間365日、隠しカメラで撮られて全世界に放映されていること。

そのことに気づかないトゥルーマンは一所懸命人生を生きていくが、そのうち何かおかしいということにうすうす気が付き始めた・・・

ジム・キャリーが若くてはつらつとしていて、でもすでに奇演・怪演の片鱗が見えている素晴らしい演技で引き込まれる。

それにしてもトゥルーマンがけなげでいじらしい。ただただ頑張っているだけなんだよなぁ。

それを見ている総視聴者の悪趣味さが際立っており、もちろんそういう点を強調したい映画なのだから当たり前ではあるのだが、それでもこういうことをアイデアとして発想してしまうところがすでに相当悪趣味。

なのでますますトゥルーマンの善人ぶりが際立ってくるというよくできた構図になっており、お前ら全員最低だな!と言いながらも続きが気になって観てしまうんだなこれが。

それにしても最後のシーンが張りぼてだとは思わなかった。あんなリアルな海の果てがぺらっぺらな張りぼてというのはなぁ。まあこの時代のSFXの限界というか、そもそもリアルに見せる気もなかったんだろうけど。

そしてそのペラペラ扉を出ていくトゥルーマンが幸せをつかんでくれたことを祈りたい。

トゥルーマン・ショー (字幕版)

トゥルーマン・ショー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video