みなさんも一度や二度、見たことがあるのではないだろうか。
壁の真ん中あたりに扉があり、どう考えても出入りできなさそうなやつ。
もしくは、壁に向かって階段が上がっていき、どこにも行けないやつ。
または、庇(ひさし)だけあって窓が存在しないやつ。
赤瀬川源平は、この奇妙な都市の残留物に気が付き、仲間たちと事例を収集したところ、思った以上にあちこちに存在することを突き止めた。
ちょうどそのころ、読売巨人軍では、メジャーから招聘されて長らく四番の座についておきながら、まったく打てずに成果が出せていないゲーリー・トマソン選手が、いたずらにバットで空を切りまくっているところだった。
「これだ!大事に保存されていながら全く何の役に立っていない。この建築物たちを、トマソンと名付けよう!」
赤瀬川源平はこの建築物を超芸術トマソンと名付け、収集を本格的にスタートしたのだった。
この本はそのトマソンの成り立ちと、実際に集められた事例が紹介されている。
こういうばかばかしいことを大真面目に、それなりに学もあり頭も切れる大人たちが本気でやると、素晴らしいことに昇華されるという好例。
まるで無秩序にきらめくだけだった空の星が、星座を知った途端に規則的で整然とした並び方をしているようにしか見えなくなるように、一度トマソンを知ってしまってから街を歩くと、あちこちにトマソンが見えてしまって止まらなくなってしまい、それがものすごく得をした気分になる。
トマソンを「変わりゆく都市の残留思念」と表現した人がいるが、うまいこと言うなあ。トマソン自体はたまたま結果的に保存されてしまっただけで、意図的に大事にされているわけではないのだが、過去何らかの目的があってその造形が行われ、以後活用されずに放置されているところは、都市という生命が別の方へ意識をそらした結果であるようにも見える。
街に人が住み、人々が暮らしの中で生活に合わせた建築を行っていく限り、トマソンは生まれそして消えていくのであろう。かっちょいい!