観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

もっと煮え煮えアジアパー伝(2003 鴨志田穣)

 アジアパー伝の第四弾。

本作のハイライトは中国。最初は北京に渡り、そのあと父親のルーツがあるというハルピンへ。
ハルピンでは度数の高い酒を飲み、極寒の外を歩き、耐えられなくなってまた酒を飲むという毎日。
辛いだけの50円くらいのラーメンをすすり、ホテルのショーに出稼ぎにきたフィリピーナと親交を深め、スペシャルマッサージで稼ぎに来た若い女性にアイーンを教えて帰らせる。
ハルピンは父親のルーツだという理由だけできたのだが、電話でさらに詳しい話を聞こうと父親にかけたところ、「ハルピンじゃなかったかもしれない。えーと上海の・・・」「わかったよ、上海に行ってやるよ!」というしょうもないやりとりで上海に行く羽目になる。
こういう根無し草的なあてどない旅が本当に様になる。かっこいいわけではないのだが、いろいろとお金がない系旅行世界のことをよく知っていて体になじんでいる印象。
前のアジアパー伝シリーズで、彼が簡単に経験を積んだのではなく、バカだアホだと言われながら、バカなアホなことをいっぱいしでかして積んだ苦い経験がここにきて生きていることがわかり、やはりどんなにかっこよく見える人でも裏ではかっこいいなりの苦労をいっぱい積み重ねているんだなぁと改めて思う。
上海で会社を経営しているキシダさんにいろいろと上海を紹介してもらい、会社の飲み会にも参加させてもらう。そこでどうしようもない虚言癖のある決して美人でも若くもない女性にまとわりつかれ、勝手にボトルを入れられて大酒飲まれ、あとから現れた岸田さんが彼女をきつーく叱り、また鴨ちゃんを別の店に連れて行ってくれる。
なんともフワフワと流れながらも人の縁でいろいろな人生を見せられている気になる。キシダさんが一番食いついたのは、鴨ちゃんベトナムで見てきた職人芸、ライムとトンカチだけで新品の木綿のパンティを使用済みに加工する技術であった・・・
鴨ちゃんが取材してくる人たちはみな人の欲や悪意を隠そうとせずに無理しないで自由に醸しており、それらがいい味を出してその人の生活や生き方を端的に見せてくれるし、また鴨ちゃんの描写が素晴らしい。なぜなら彼もまたアル中でありヘロイン中毒であった経験から、ズンと沈んだ気持ちがわかるからなのだろう。
日本でサラリーマン生活を送るのはそれなりに大変で、頑張っているつもりではあるけど、こうやって別の世界に生きている人のことを思うと、時々焦燥感で胸が焼けそうになる。こういう人生もあるよなぁ・・・!

もっと煮え煮えアジアパー伝 (講談社文庫)

もっと煮え煮えアジアパー伝 (講談社文庫)

 

 

煮え煮えアジアパー伝(2002 鴨志田譲)

 鴨志田譲のアジアパー伝シリーズ第三弾。

本作のハイライトは何といってもミャンマーで出家するところだろう。
出家と言ってもだいそれたことではなく、ミャンマー人は一生の間に数か月、誰もが一度は一時的に出家するとのことで、鴨志田も3週間ほど体験出家していたのだ。
ただ、やはり出家は出家であり、かなりきつい。
朝三時半に起床し、修行の場へ。

朝四時から座禅。そこから歩く瞑想。少し休んで朝食。六時から修業が再開され、座ったり歩いたりの瞑想を1時間ずつ繰り返し、5時間後午前11時に最後の食事の時間となる。
昼のお休み後、午後1時から修業が再開され、また座ったり歩いたり、夜11時まで繰り返した後、行水をして一日が終わり。
食事を含めて娯楽が一切なく、ひたすら座って座禅、歩いて瞑想。特段体力的に厳しいことをやるわけではないし、精神的に追い詰められるわけでもないが、やはり厳しい。
鴨志田にとって一番つらかったのがタバコ。ほかは全部慣れたが、タバコがないことだけは最後まで慣れなかったようだ。アル中の鴨志田にあるまじき発言だが、実際はそんなものかもしれない。
その後、俗世に戻ってからビールをぐびぐび飲んでいると、人力車を引く、知的で聡明なおじいさんから話しかけられ、修行を振り返るところが味わい深い。

また、自国の文化を卑下し申し訳なさそうにしながら酒では決して負けない韓国人の話や、阪神淡路大震災の際、3年ぶりに帰国して神戸市役所で避難している人たちと一緒に段ボールの上で寝泊まりし、ホームレスのおっさんと友達になった話など、この人のエピソードは下の方からえぐりこんでくる系が多くて、あまり他では見たことのない入り方と出方をするので興味深い。
現地へ飛び込んで体験したり一緒に生活したりするルポやエッセイは数多く存在するが、現地の人たちの、本当は隠しておきたいくらいな生の生活感を燻り出すのがすごくうまいので、読んでいて飽きない。
もっと評価されるべき作家である。

煮え煮えアジアパー伝 (講談社文庫)

煮え煮えアジアパー伝 (講談社文庫)

 

 

アクロイド殺し(1926 アガサ・クリスティ)

 ミステリ(推理小説)が好きな人でこれを知らない人はいないと思われるほどの古典的名作。といっても僕自身はミステリはほとんど読まない。というかミステリを読まなくなったきっかけとなった作品でもある。

ある村で起きた殺人事件。被害者の友人であり、村の医師でもあったジェームズは、被害者の姪が助けを求めた隣人がベルギー人の有名な探偵・エルキュール・ポアロであることを知る。ポアロは引退してかぼちゃづくりにいそしんでいたのだった。ポアロはジェームズを助手に事件を捜査する・・・

名高いベルギー人の探偵:エルキュール・ポアロは、ホームズと人気を二分するほどの人気を持つ典型的な名探偵だが、この時点では探偵家業をやめ、田舎に隠遁していたという設定。もともと探偵をやっていた時は助手役にヘイスティングス大尉がいたが、ここではシェパード医師がその役になるわけだ。

この作品は最後の真相というかオチがすべてなので、いくら100年前の古典といえどもここでネタバレをするのははばかられる。なのでこの作品との出会いだけ記しておくことにする。

これを初めて読んだのは小学5年の頃。本好きな子供がたどりがちな道を順調に進み、図書館で読み漁るうちに江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ、ドイルのシャーロック・ホームズ、ルブランのアルセーヌ・ルパンなどにはまり、ミステリが好きな少年に育っていたころだった。ジュブナイル(児童)向けにリライトされた「アクロイド殺害事件」(ハヤカワでは作名が「アクロイド殺し」で、こちらのタイトルの方が有名)を図書館で借りて読んだのだが、そのラストの真相に衝撃を受けまくって、これ以降に読むミステリがすべて色褪せて見え、本作以上のトリックにはもう一生出会えないだろうと落胆して、ミステリが読めなくなってしまった。
そのあと、今にして思えばレンズマンシリーズの外伝である「三惑星連合軍」に出会い、SF小説の道をまっしぐらに進むことになったのだが、本作に出会っていなければSFには縁がなく、ミステリ好きな大人になっていたかもしれない。

まあ、これほどの名作に出会わないまま成長するのはほぼ不可能なので、いずれどこかで出会ってミステリに挫折し、SF好きになっていたと思うが、それくらいの破壊力を持つ作品ということである。

アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)

アクロイド殺害事件 (創元推理文庫)

 

 

ファースト・レンズマン(1950 エドワード・エルマー・スミス レンズマン・シリーズ)

 レンズマンシリーズの外伝的な作品の一つで、レンズマン誕生秘話的な話。

地球人類は原子力による第三次世界大戦で消耗・疲弊した後、残った国々により復興を成し遂げていた。その後、他惑星人たちとの邂逅を果たし太陽系文化圏が形成された。
しかし、知的生命の文化圏が拡大するにつれ、昔から内容されていた問題が同じく規模を大きくして顕在化していた。あるところで犯罪が起きると、例えばアメリカでは州警察は州をまたいで逃げられると逮捕できなかったが、アメリカ全土で警察活動ができるFBIが誕生した。それが国家間をまたがる犯罪になるとインタポールとなった。しかし星をまたいだ場合は?さらにそれが恒星間になった場合は?
地球の警察官が他星に行った場合、自らの身分を証明することは難しい。その国の警察官が誰なのかすらわからないし、警察という文化があるかどうかすらわからない。
太陽系評議会議長にして三惑星連合軍の長であるバージル・サムスは、この問題を解決しようと頭を悩ませていたが、天才肌の科学者、ネルス・バーゲンホルムからアリシアという謎の惑星に行くよう進言される。バーゲンホルムは地球人のサポートをするべくアリシア人が地球人としてその姿を変えていたのだった。
サムスはアリシアでレンズを授かる。レンズは正しい心を持ったものでなければ装着できず、一つ一つは固有の周波数を持っており当人しか着用できない。それ自体がテレパシー機能を有しており、サムスの悩みをすべて解決するものだった。
ファーストレンズマンとなったサムスは、できる限りレンズマンの数を増やそうと、周りにいる信頼のおける者たちをアリシアへ送り、次々とレンズマンが誕生した。
サムスと、その盟友であり公安委員長のレンズマン:ロデリック・キニスンは、来るべき星間文明勃興のための銀河パトロール隊を立ち上げ、その参加資格をレンズマンとすべく尽力する。
当初、人々はレンズマンが何なのか理解しておらず、本当にその得体のしれない力を持った人々に強権を与えてよいのか懐疑的だった。また、その存在を疎ましく思う犯罪組織の横やりが入る。
ロデリック・キニスンは太陽系評議会に最も影響力がある役職であるアメリカ大統領に立候補し、レンズマンたちはそれをバックアップする。対立候補をバックアップしているのは、カロニア人を中心とする犯罪組織。果たして結果は・・・

太陽系の人たちが銀河へ躍進していけるのは、バーゲンホルムによる無慣性航行の完成であり、これによって光の何万倍もの速度で宇宙船を飛ばせるようになるのだが、これってアリシア人が人類に与えたということで、そもそも人類の力では自らそれを創造できなかったということになる。アリシア人のバックアップって結構露骨だったんだなぁ。

また、ロデリック・キニスンは名前の通り、正伝の主人公であるキムボール・キニスンの直系の先祖だし、バージル・サムスはクラリッサ・マクドゥガルの直系の先祖に当たる。二人とも全くそんなことを匂わせていなかったが、例えば織田信長坂本龍馬の子孫的な扱いなわけで、どちらも話題にしないわけがないだろうと思うのだが、作品的にはファースト・レンズマンの方が後なので、仕方ないと言えば仕方ない。

サムスは様々な他恒星系に行き、レンズマンになれる人材を探しに行くのだが、そこで訪れる奇妙奇天烈な他星文化の描写がとても面白く、まったく相いれないと思っていたのに「道路に広告が多すぎて困るよね」というところで初めて意気投合した、なんてあたりは心躍る。うまいね~。

また、サムスとキニスン達の尽力により銀河パトロール隊が創設されるのが感慨深い。このあと銀河系全体で億を超えるレンズマンが生まれるんだよなぁ。その始祖こそアメリカ系地球人であるというあたりが当時のSFっぽいが、まあみんな地球人なんだからそういう細かいことはいいのだ。

 

バブリング創世記(1982 筒井康隆)

 本を読む人であれば、10代のころあたりに必ずと言っていいほど通り過ぎる作家だったが、最近はどうなのだろうか。もう古典扱いなのかな?

筒井康隆はカテゴリーこそ日本SF御三家とも言われSF界の重鎮と目されているが、その作品はあまりSFの風味は濃くなく、スラップスティックだとかドタバタだとかシュールだとかパロディだとか言われる感じの作風で有名である。一言でいうなればお笑いSFなのだが、ただ笑わせるという感じではなくブラックなユーモアやペーソスがふんだんに盛り込まれている辛口な感じ。
本作はその中でもより筒井らしい短編が入っており、特に冒頭の「バブリング創世記」は破壊力抜群。
「ドンドンはドンドコの父なり」から始まり、際限なくいろんな人や物がいろんなものを生んでいくという、ただ聖書の創世記に出てくる誰それが誰それの父で、誰それが誰それを生んだという記述がいっぱい出てきて「うんざりするほど出てくるなあこれ」と思った時の気持ちをパロディで茶化していて、ちょっとプッと吹き出してしまいそうな感覚をよく再現している。
そして「ヤスタカはシンスケを生めり」で思わずニヤッとしてしまう。
「死にかた」は、一言で言うと職場に鬼がやってきて自分も含めてみんなこん棒で殴られて殺されるというただそれだけの話なのだが、それぞれの命乞いの仕方が人間の(特に日本人の)醜いところをふんだんに表していて、ああ俺の知り合いにもこういう心が醜そうな人いるよなぁと自分を棚に上げて思いにふけってしまうこと間違いなしな再現率が秀逸。
後の短編も心の醜さや残酷さを忖度も妥協もなく色濃く描写していくという点では共通していて、若いころにこういう強烈なものに出会ってしまうとすぐ染まってしまうんだよなぁ。
それまでは理系志望だったのだが、中学高校で筒井康隆に出会ってしまったがために心理学を学びたいと思ってしまい、文系に転向してしまったのが今でも悔やまれるが、それくらいの影響力を持った作家であった。

定本 バブリング創世記 (徳間文庫)

定本 バブリング創世記 (徳間文庫)

 

 

GTXMAN デスクチェア CH106-GRAY

テレワーク関連で購入した品の一つ。

それまでは高校生の頃からの学習椅子を使い倒しており、使い始めてから35年が経過していた。黒かった表面のクロスは灰色になるほど色あせ、座面はところどころ摩耗による破れで中のスポンジがまろび出ていて、長い年月の間に足から出た脂汗を吸い込んで、逆に貫禄が出てしまっている状態。
それでも買い替えるのが面倒で使い続けていたが、とうとう座面の高さを調整するところがエア抜けでどうしようもなくなり、一番低い状態から戻ってこなくなってしまい、仕事に支障をきたすようになったので仕方なく買い替え。

次に買うのはアームレストが欲しかったので、金が許す範囲で豪華なのを買おうと思ったのだが、でかい勉強机のすぐ裏にこれまたでかい本棚を置いているので、椅子を置くスペースは1m未満しかない。これだとよくあるビジネスチェアで背もたれのデカい黒革のごっつい奴はとても置けないことが分かった。
なので、この狭いところに入る大きさでありながら座面は大きめで、アームレストがあってそれが畳めるようになっていて、夏は熱がこもるし汗っかきなのでメッシュタイプがよくて、ずっと黒を使っていたので、でもいい年のおっさんなのでモノトーンにしたくて、という条件で探したところ、ぴたっと出てきたのがこれ。

最近のAmazonではあまり当てにならないが評価も高く、値段も1万円弱。まあ失敗しても1年くらい使えたら元が取れるだろう、という軽い気持ちで購入購入した直後に割引クーポンが適用され、涙をのんだがそれはまた別の話。

実際に組み立ててみると、座面の裏側のカバーがなんと紙で、タッカーで打ち付けてあるだけだった。やはり安物中華は侮れない。
ただ、立て付けはしっかりしていて安定感があり、折りたたみ式のアームレストも使いやすく、アームレスト事態にクッションがついているのが地味に良い。座り心地も背もたれの感じも今までの椅子とは、比べてはいけないが別次元の心地よさ。これは快適だ。座り心地については120点の素晴らしい椅子。これは長いこと使えそうだわ~。
と思ったのだが、僕は仕事中も夜ネット巡りをしている時も、基本裸足で胡坐をかいていることが多いのだが、脂足なのですごく汗をかく。その汗がどんどんメッシュ座面にしみこんでいき、何やら変な色になりそうな予感がするうっすらとした変色がかすかに見受けられる。
これ、1年くらい使ったらもう脂汗色に変わってしまうのだろうか。やっぱり黒にしておけばよかったかな~。
まあでも安かったし、いざとなったら買い替えればいいか、と思ったところ、今Amazonを見たら微妙に値上がりしているな。それでも安いけど。
そしていつの間にかミーティングチェアカテゴリでベストセラー1位になっていたらしい。おめでとうございます。やっぱり僕がいいと思うものはみんないいんだな、うんうん。

しかし、会社のことで金を出すのは嫌だとか何だとか言いながら、結局は嬉々として金を投入しており、テレワーク関連の消費も数えてみると相当な数と金額になっている。もちろん仕事の能率を上げることが大前提だけど、結局のところはそれを理由にした消費の心地よさを享受しているだけなのかもしれないなぁ。
まだいくつかあるのでまた紹介する。

 

ASUS フレームレス モニター 23.8インチ VZ249HR

この会社の読み方は諸説あったようだが、本家が「エイスース」と発音しているらしいのでその伝手に習うこととする。ちなみに知る前は「アサス」と読んでた・・・

元々、10年近く前にPCを新調した時に、三菱の23インチの液晶モニターをセットで買って以来ずっと使ってきた。最近の液晶モニターは非光沢が一般的だが、当時の非光沢は解像度がとても悪くて、ある程度綺麗な画面を観たいなら光沢一択だったので光沢にした。
それなりに満足して使っていたが、2020年に入ってテレワークがメインになると、会社では17インチでアスペクト比4:3のモニターを2台使っていたので、23インチのモニターが2枚あったらもっと仕事が捗るんじゃね?と思い立った。
ただ、前にも述べたが会社のことで自腹を切るのはかなり不本意だし、仕事ができればよいのでそんなにいいモニターは必要ない。ということでAmazonで格安の23インチ液晶モニターを探し回ったところ、この非光沢液晶モニターに行きついた。

価格が1万円台前半と破格に安いこと、知られたメーカーであること、フレームが細いこと、そして以前紹介したスチールラックに収まること。
この最後の条件に当てはまるのが意外とそんなに多くなくて、自然とこのASUSのモニターに落ち着いた。

実際使ってみたところ、正直なことを敢えて言うと、10年前の三菱の光沢液晶モニターの方が発色がよい。様々な調整項目をいじってみたが、どうやっても三菱のモニターに及ばない。まあ、10年前の当時で三菱のモニターは2万数千円したので、この10年デフレで価格がほとんど変わっていないことを考えると、だいぶレベルが違うのは致し方ない。
ただ、少しでも三菱モニターに近づけようとパラメータをいじり倒したことで、だいぶ自分好みの表示に近づけることができた。
もちろん仕事をするには何の問題もなく、非常に快適になり、むしろ出社するよりも自宅の方が能率がアップしたのであった。
ただ、三菱のモニターは昔の製品だけあってフレームがぶっとく、高さも木の板を置いたりしてそれなりにそろえたものの微妙にずれていて、いつか何とかしたいなあと思っていた。

それから約半年後の今月、自分の役目が終わったことを悟ったかのように、三菱の液晶モニターの調子が悪くなり、とうとうほぼ使い物にならなくなってしまった。
非常に気に入っていたが、さすがにほぼ10年使い倒したことを考えると、よく今まで持ってくれたと言わざるを得ない。ありがとう三菱。

ということで、まったく同じASUS液晶モニターの2台目を、先週末購入したのであった。
全く同じ型番の同じ製品なので、設定を同一にすれば全く同じ表示になると思っていたのだが、そう簡単な話ではなく、微妙に色味や精細度が違う。
また設定地獄に陥ってしまった。
そもそも、一般的なデスクトップパソコンでマルチモニターを実現しようとすると、異なる出力方法で1本ずつつないでいくことになる。D-SUB、HDMI、DisplayPortの3種類があるのが一般的だが、このASUSモニターはD-SUBとHDMIのみなので、それぞれ1種類ずつつないでいる。その種類が違うと出力されている画面がだいぶ違う、ということが、相互に差し替えることで初めてわかった。
完全に出力のせいかというとそれだけでもなく、同じ型番のモニターでも個体差がだいぶあるということもわかった。
もちろん一方は半年くらい使いこんでいるので、いわゆるエージングが終わっているわけで、その分の差があるのかもしれない。ひょっとしたら数か月使い込んでいけば同じになるのかな?
2台目を買った週末に本来の目的を忘れて設定迷宮に陥った結果、今週明けの月曜日に仕事で使ってみたら、いつものシステムがきついパステルカラーになって目が痛くて閉口した。この画面が観やすい設定に合わせないといかんということをすっかり忘れていた・・・
というわけで、なんとか設定地獄からも抜けだして、一定の妥協点が見いだせた。が、たまに気に入らなくてちょこちょこいじってしまう。
こういう無駄な工数を削減したかったら、もっといいモニターを買えということなのか、そちらはそちらで無間地獄なのか。

まあでも、個体差があることを除けば、それなりに設定が済んだ本製品はそこそこ使い勝手が良い。非光沢でこんなにきれいな絵が見られるとは、時代も進化したものである。しかもこれが1万円台前半とは・・・。さすがエイスース!