観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

銀の匙 Silver Spoon(2014)  

コミックはだいぶ前に読んでいたが、たまたまAmazonで見かけて実写劇場版を観た。

受験に失敗し、それまでの環境から逃れるためだけのために全寮制の農業高校、エゾノー酪農科学科に入学した八軒勇吾。夢を持って入学してきた同級生たちとの温度差に戸惑いと劣等感を感じつつ、牛の直腸検査や子豚が成長し解体されて肉になるまで、日々のニワトリの卵の採取や牛乳の搾乳など、日々の怒涛の実習事業へ懸命に取り組むことになり、次第にその魅力に目覚めていく・・・

コミックの実写化ということで、そのキャラクターと似た俳優が配役されるわけだが、本作のシンクロ率は相当高い。八軒の中島健人を始めとして、アキ=広瀬アリス駒場市川知宏、富士先生=吹石一恵南九条あやめ黒木華、中島先生=中村獅童などなど、もちろんメイクや衣装の力によるところも大きいとは思うが、妥協のない見た目の寄せ方が半端なくて凄みさえ感じる。
コミックの実写化では往々にして、ストーリーを追うことに終始して、そのエッセンスというかソウルというか、作品に内在するパッション的なものが置き去りになることが多いが、本作は演者やスタッフの意気込みというか覚悟というか、壮大な北海道の風景との相乗効果も相まって、強く訴えてくるものがあり好感が持てた。
やはり酪農には命を扱う荘厳な部分があり、そこから目をそらさずに映像化しつつ、ちゃんとキャラ重視のコミック実写を成立させているのはよかった。
きっと大変なことが山ほどあって、実際にここで学生生活を送るのは相当難易度が高そうだが、それでも観た人は多かれ少なかれ「こういうところで高校生活を送るのもありかも」と心をよぎったはずだ。あのベーコンは本当においしそうだった・・・
映画では学園祭で八軒たち馬術部がばんえい競馬を実現するところが山場だが、そのあとの八軒のお兄さんの話や起業のあたりも映画で観てみたいな~。いずれやってくれないだろうか。

キャストの中で特に駒場がよかったな~と思い、役者の市川知宏についていろいろ見ていたら、そうかこの方、仮面ライダーセイバーのユーリだったか。そういえばあなたでしたね。

 

 

プロメテウス(2012)

リドリー・スコット監督作品で、「エイリアン」の前日譚として企画された作品。
ネタバレありなので注意。

遥か昔の地球。人型でありながら人間ではない何かが黒い液体を飲み、巨大な滝つぼに身を投じながら体を霧消させ、DNAをこの地に拡散させていった。

時は流れて2089年。人類は複数の古代遺跡の中に、共通の未知の文明とその始祖と思われる惑星の存在を見出していた。
惑星調査プロジェクトに出資したウェイランド社は、人類の起源を探すために、コールドスリープを使用した長距離航行で、優秀な科学者や技術者、彼らの世話をするアンドロイドなどを乗せた宇宙船を飛ばし、10年に及ぶ航海の後、始祖の惑星にたどり着いた。
地上に降り、調査に出動したクルーたちは、人工物としか思えない巨大建造物の中に入り、そこに人為的に作られたと思われる数々の遺跡を発見する。
調査隊と別行動をとっていたアンドロイドのデヴィッドが、残された痕跡の中から映像装置を発見し起動すると、人間型の生物が走り去っていくホログラムが映し出され、その先に始祖と思われる生物「エンジニア」の死体が発見される。
エンジニアを持ち帰った調査隊がDNA解析を行ったところ、それは人類のものと全く同じであった。
一方、デヴィッドは同じ場所から持ち帰った円筒形の物体に入っていた黒い粘着質の液体を入手し、ある行動に出ようとしていた・・・

元々は「エイリアン」のエピソード0として企画されたものの、例によっていろいろな大人の思惑や脚本の改変等があり、アウトプットとしては「エッセンスはあるが直系の前日譚とは言えないですごめんなさい」的な微妙な立ち位置の作品となってしまった模様。
まあ、映画制作は大勢の人間がかかわるわけだから、こういうのは致し方ないとは思うが、切ないねぇ。
ストーリーも多くのハリウッド作品にあるように、「本当にこれが科学者の精鋭たちの集団か」と疑いたくなるくらいに皆ワガママで勝手な行動をとる。
こういう個性的な人々じゃないとストーリーが進まないのはわかるのだが、それにしても自由だなぁ。アメリカではこれが標準なのだろうか。
そして、キーパーソンとなるアンドロイド・デヴィッドの、ウェイランド社への忠実さと裏腹な倫理観のなさがすごい。こんなやつにコールドスリープ中の大事な留守番を任せていたとは、後から知ったら背筋が凍りそう。
人類の起源をたどる荘厳な調査隊の話と思いきや、後半は粘着グロホラー映画になってしまうのは、エイリアン由来だからある程度は仕方ないが、前半の重厚なつくりに期待が高まっていた分、肩透かし感が出てしまうのは否めない。
ただ、異星のスケールの大きな風景や異星人たちの重厚な遺跡群、精緻にして巨大なつくりの宇宙船など、映像は非常に美しくて見ごたえがある。ストーリーは気にせず、画面を見て楽しむのが吉であろう。

今回は吹替版で観て、主人公の声優に違和感があるなぁと気になっていたが、最後のクレジットを見てなるほど・・・そういうことでしたか。まあ、よく頑張りましたね、ということで。
また、最後に出てくるアレには、リドリー・スコットの意地を感じた。こちらも頑張りました。

 

 

岸辺露伴 ルーヴルへ行く(2023)

アマプラで見た。言わずと知れた「ジョジョの奇妙な冒険」第四部に登場する岸部露伴のスピンオフ作品が、更に独立した話となっているコミックの実写映画版。
NHKのドラマは好きで全話観ていたが、そちらも本作もまだコミックは未見。

岸部露伴は少年週刊漫画誌で連載を持つ売れっ子の漫画家であり、人の心を本のように読むことができる「ヘブンズ・ドアー」のスタンド使い
漫画執筆にかける情熱はすさまじく、他のあらゆることを優先し、スタンドも躊躇なく使うほどである。
新しい作品を執筆中、漫画家としてデビューしたての時に居候していた祖母の家で出会い、淡い恋心を抱いた女性・奈々瀬に聞いた「この世で最も黒く、邪悪な絵」のことを思い出す。
それに関連すると思われるモリス・ルグランの黒い絵をオークションで落札した露伴は何者かの襲撃を受け、絵を盗まれるが無事取り返す。
そして大元と思われる山村仁左右衛門の「黒い絵」を探しに、ルーブルへ行く・・・

ルーブルに行くことありきのストーリーだが、ルーブルからのオファーによるプロジェクト参加作品なのでそうなるのは致し方ない。
ルーブルの支援を存分に受けていて、普段は入れない内側も存分に取材して、物語後半の主軸となる倉庫も見せてもらったそうなので、それを漫画でリリースするのはとても贅沢で素敵。
それだけではもったいないよなぁ、ということで映画化したのは自然の成り行きともいえる。
これだけ傲岸不遜で自己中な岸部露伴も、17歳の青少年の頃は大人の女性にドキドキムラムラする普通の男の子だったのだなぁとちょっとほっこりした。
それにしても高橋一生がはまり役。演技がうまいからというのが一番だと思うが、キャスティングの妙でもある。
コミックの露伴はもっと若くて20代後半の設定だが、元々原作でも妙に老成している部分もあったので、ちょうどいい雰囲気になっている。
そして泉京香の飯豊まりえもかわいくてよい。というか泉くん有能すぎるだろう。普通なら露伴の担当編集なんてメンタルやられて終わりなような気がするが、漫画家につく担当編集さんはみんなこんな苦労をされているのだろうか。だとしたら本当に大変なお仕事だなぁと尊敬申し上げるしかない。
もっと最初からルーブルへ飛んで、中の紹介がてらストーリーとどっぷり絡むのかと思っていたらそうではなく、露伴の若かりし頃の思い出と黒い絵のエピソードがうまいことからんでルーブルにつながっていくのは凝ったストーリー展開で感心した。
後半はだいぶ怖いホラーだが、きちんと救いがあり、各々が役目をはたして綺麗に終わるのは後味がよかった。
ルーブル職員のエマ野口、どこかで見たことがある役者さんだなぁと思ったら、「有閑倶楽部」で悠理をやっていた美波さんでした。観てました~!

 

 

 

ANIARA アニアーラ(2019)

アマプラのおすすめにひょこっと出てきたので、何の気なしに観始めたのだが、半分くらいを観終わる頃に「あれ?これはちょっと簡単な作品ではないぞ」と感じ出し、評価が星2個台と相当辛い点数がついていることにやっと気がついた。ひょえ~。でも頑張って観た。

原作はスウェーデンの小説家・詩人であるノーベル賞作家ハリー・マーティンソンが1956年に出版した詩。オペラ化もされ、おそらく地元では満を持しての映画化だったと思われる。
放射能汚染により住めなくなった地球から火星へ移住するべく、8000人の乗客が巨大箱舟型宇宙船アニアーラ号へ搭乗した。豪華ホテルのような至れり尽くせりの内装やサービスが充実しており、何の不自由もなく3週間で火星に到着し、夢の火星生活が始まるはずだったが、船体に衝突した小さな破片で重大な損傷を引き起こし、燃料棒を破棄せざるを得なくなってしまったことから、この宇宙船は軌道を大きく反れ、琴座方面へ漂流することになる。
地球のイメージを人の心に投影し、心の平安化・沈静化を導き出す人工知能システム「MIMA」の責任者ミーマローベは、パニックに陥りそうになる人々を救おうと積極的にMIMAを使ってもらうが、逆にMIMAが過重負荷に耐えられなくなり、自爆的に故障してしまった。
船長の独断で、最初は数年の遅れで火星に行けるとアナウンスされていたが、次第にそれが根拠のない発言であることがバレ、謎の新興宗教が広まったり、自殺者が増えたりして、船内に厭世観が広まっていく・・・

宇宙船の外観はとても壮大で美しくかっこいいのだが、それ以外の船内の様子だとか人々の振る舞いは、単に豪華なホテルに泊まっているお客、くらいの描写。
予算の関係でやむを得なかったのかもしれないが、それが逆にリアリティを増している。
こういう世代型宇宙船は、乗客それぞれが何らかのミッションを持っているイメージを持っていたが、この作品では乗客=お客さんと、それをアテンドする乗組員の立場が完全に固定されていて、この立ち位置で長い年月を過ごすのはちょっと無理だろ、という気もする。事実、後年には職種替えも行われている描写があった。
また、船長が相当ポンコツというか場当たり的で、なんでこの船長指揮下でこの船がこんなに長い間運営可能だったのか不思議。壊滅的な状況に陥らなかったことは相当ラッキーだったのでは。
SF小説ではよくあるタイプの滅亡系ストーリーなのだが、映像で改めて見せられるとエグい。人の心の嫌な部分をこれでもかと描写しており、それが原作の真骨頂なのかもしれないが、「アイタタ、もうやめて~!」と言いたくなる執拗さがある。
ラストのオチもあまりひねられておらず、もうちょっと意外性が欲しかったところだが、詩的にはこれが美しいのかもしれない。
主要な登場人物がみんなおっさんおばさんで、それが美しくないという酷評もあるようなのだが、世の中を動かしている構成比としては圧倒的におっさんおばさん世代が大きいわけで、それもまたリアルな感じがして個人的には納得だった。

楽しさや面白さを期待して観ると確かに星2つ以下が妥当なところかと思うが、純粋なSFとしての思考実験や滅びの美を鑑賞するという意味ではよくできていた。
あと、モザイクのかかっていない勃起したオ〇ン〇ンが丸ごと出てくるのだが、これってAmazon的にありなんだな。芸術だから?

 

ANIARA アニアーラ(吹替版)

ANIARA アニアーラ(吹替版)

  • エメリー・ヨンソン
Amazon

 

ワンダーウーマン(2017)

ちょっと前に「ワンダーウーマン1984」を先に観てしまい、「あ~、先にこっちを見ておけばよかった」と後悔していたので、時間を見つけて視聴。

約100年前。大神ゼウスにより創造された女戦士のアマゾン一族は外界とのかかわりを嫌い、結界を張ったセミスキラ島で暮らしながら、互いに競い合い、戦士としての腕を磨いていた。
ダイアナはその中で、女王ヒッポリタの娘として成長していった。女王はダイアナに戦士になってほしくはなかったが、ダイアナ本人の強い希望で戦士としての修行を行い、非凡な才を見せるのだった。
ある日、結界の間隙を縫って、ドイツ軍の船がセミスキラ島沿岸までやってきた。そこから逃げてきたアメリカ軍のスパイ・スティーブはダイアナに助力を乞い、アマゾン族とドイツ軍は激しい戦闘に突入した。
大きな犠牲を出しながらも、ドイツ軍を配送させたダイアナ達。回復したスティーブから第一次世界大戦の話を聞き、ゼウスが懸念している軍神アレスの仕業に違いないと確信したダイアナは、自分の力で世界を救いたいと、母である女王に島の外へ出る許しを請うが、女王はそれを許そうとはしなかった。
ダイアナには軍神アレスを引き付けるパワーが生まれながらに備わっており、ダイアナがその力を開放すれば自ずからアレスを引き寄せることが女王にはわかっていた。しかし、ダイアナの堅い意思を見て取ると、「二度とこの島には戻れない」と言いながら、我が子を送り出すのであった。
イギリスに到着したダイアナは、スティーブの秘書という名目で軍に潜り込んだが、イギリスはドイツと停戦交渉を行おうとしていた。しかし、スティーブの得た情報によるとドイツでは天才科学者の手により強力な毒ガスが開発されており、それを使われれば一般市民を巻き込んだ甚大な被害が懸念された。
ティーブは軍には内密に私兵を集め、ドイツ軍の目論見を阻止しようと動き出し、ダイアナもそれに同行するのだった・・・

ダイアナ、ものすごく美人なので許されがちだが、最初から最後までわがまま言いっぱなし・・・
島では伝説の聖剣「ゴッドキラー」(すげぇ名前・・・)やヘスティアの縄、防御力抜群なコスチュームをこっそり持ち出すし、スティーブの言うことを全然聞かずに軍議に口を出すし、戦闘ではもちろんやりたい放題。
でもなぁ。きれいだからなぁ。仕方ないよなぁ。
最初「アレスアレス!」とダイアナがまるで信じて疑わないので、これってエアーアレス(空想上の産物)なんじゃね?と思ってしまうのだが、それはもちろん制作側のミスディレクションで、アレスはちゃんと存在する。ただ、結構最後まで分かりづらい感じはした。
やはりスーパーヒーローものなので、体を張ったアクション的戦闘になるのは必然なのだが、見せ場を盛り上げるためには相手もそれなりに強くないといけないわけで、なるほどアレスがいないと成立しないストーリーなのは納得。
しかし、戦争をやっている最中に一介の尉官が私兵を集めて敵国と戦闘行為を行うというのは大丈夫なんだろうか?国際法違反とかにならないのだろうか。その辺の説明はもうちょっとしてほしかった。

そしてラストでは、なるほどそういうことであったか。これが「1984」につながっていくのね。あ~、やっぱりこっち先に観たかったな~。
最終的にはダイアナは現代アメリカ文明にすっかりなじんで、博物館で働きながら優雅な都会生活を満喫している。適応力高いなぁ。「私は自然の中じゃないと」とか言いながら森の中で暮らす、とかではないんだな。
街なかの諸悪と戦うスーパーヒロイン誕生の逸話なので、そういう世捨て人ではイメージが食い違うのだろう。

おやすみ オポチュニティ(2022)

Amazon Primeで公開されたドキュメンタリー映画

2003年、NASAが火星に送り込んだ探査車(ローバー)、「オポチュニティ」と「スピリット」。これらは火星探査活動を行う前提で作られた。自律的に動き、様々なデータを取得して地球へ送信するのが彼らの役目である。
地球で様々な実験や改造を繰り返し、決められた納期に間に合わせるために様々な工夫ないしは間に合わせの処置が施され、なんとか2台は期限に間に合い、火星へと打ち上げられたのだった。
当初は90日程度が活動限界とされていたが、ありがたいことに強い嵐に見舞われたせいで、ローバーの太陽光パネルから粉塵が綺麗に取り去られており、オポチュニティとスピリットはまだまだ稼働が可能な状況にあった。
そこで研究者たちは、当初の予定にはなかった大探索旅へ彼らを送り出すのだった。

火星に到着して着陸する方法はどうしても例の有人月面探査っぽい奴を思い浮かべてしまうのだが、本件ではなんと全体を丸いエアクッションで覆って、そのまま上空から落としてボインボイーンとボールが弾む感じで衝撃を吸収しておろすというもの。
火星に大気があるからこその方法だが、なんというか力技な感じがする。
また、基本的に距離が離れすぎていてリアルタイムでの指示やラジコン的なコントロールは行えないので、おおよその命令を送信し、それを受け取ったローバーがある程度解釈して自律的に動くという方法が取られている。これだと不測の事態が起きたとしても、ある程度はローバーが自力でリスクを回避する余地が生まれる。
このため、ローバー達は単なる機械や端末ではなく、NASAの人たちにとっては愛する家族の一員として扱われており、スタッフの人々が如何にオポチュニティとスピリットを大切にしているかが入念に描かれている。
それを表すエピソードの一つが、ローバー達に対して毎朝かけられている「目覚めの一曲」。時間感覚が失われがちなNASAでは伝統的なことなようだが、彼らローバーに対しても毎朝違う曲が送られる。
正直米英ポップスにはあまり詳しくないので、よく知っている人だったら感涙にむせぶところもあったのだろうが、ちょっとピンとこなかった。でも、これ聞いたことある!的な曲は何曲もあって、グッとくるメジャー曲ばかりが選曲されていたのだろうなあと察せられる。
また、NASAの人々も非常に人間的というか、優秀且つ知性・理性的なこの分野のトップの方々が集まっているとはいえ、彼ら彼女らもそれぞれが一人の人間であって、豊かな感情を持ち、むしろその感情でコミュニケーションを行うことによってNASAという組織が強固かつ柔軟に運営されている様子が見て取れて興味深い。
ローバーの冒険に対してスタッフがワクワクしていたり、不調を真剣に心配していたり、連絡が取れなくなって涙ぐんでいたり、というスタッフの感情の躍動感も見どころの一つだった。
また、オポチュニティは最終的には15年もの長期間稼働し続けることになったが、当然ながらNASAではメンバーがリタイアしたり新メンバーが入ってきたりしており、後ろ髪をひかれるように去っていった人、ニュースでローバーのことを知ってNASAを志し、見事担当を射止めて意気昂揚している若者などの人間模様も優しい目線で描かれていて、いいなあこんな職場で働きたいなあ(エリート集団すぎて無理だけど)と思わせるものがあった。
最後、一台だけ稼働していたオポチュニティが稼働停止するところは、さながら家族の死を看取る感じで、悲しいけれど荘厳で神聖なものを観ているような、そんな気にさせられた。

日本ではモノにも魂が宿る的な考え方は割と一般的だが、アメリカでもそういう見方をするんだなぁというのは新鮮だった。まあでも、けなげに働く機械って、万国共通でかわいいんだね。

聖闘士星矢 The Beginning(2023)

ネタバレがっつりしているのでこれから観る人はご注意を。
もちろん事前に、「大爆死」「空席だらけ」などという情報は入っていたので、内容はおおよそ想像がついたが、小中高とこの漫画・アニメでお世話になりっぱなしであり、大きな影響を受けたコンテンツの実写ハリウッド劇場版とあっては、お布施を払わずにはおれない。ということで観てきた。
GW中の平日朝8時半上映開始という早い時間だったからなのか、それとも不人気故なのか、観覧者は僕を入れて8人。少ない~。
ほぼ全員、一人で観に来ている同世代のおっさんであった。まあそうなるよな。

星矢は地下の格闘場で戦う日々を送っていた。幼いころに生き別れとなった姉を探しながら。
そんな中、星矢はある不思議な力が宿り、それを追ってある組織に追われるようになる。その力とは「小宇宙(コスモ)」と呼ばれる聖闘士(セイント)の力であり、女神アテナの生まれ変わりであるシエナを守ることが運命であると告げられる。
シエナは実母:ヴァンダー・グラードに命を狙われており、父であるアルマン・キドの庇護のもと、匿われていた。
星矢はワシ座の聖闘士マリンの元で修業を積み、コスモを爆発させることで聖闘士としての力を使いこなし、ペガサス座の青銅聖衣(ブロンズクロス)を身にまとうことができるようになった。
しかし、ヴァンダー側にも鳳凰座(フェニックス)の青銅聖闘士・ネロがいた。二人の激闘が始まった・・・

映画を観に来る人はほぼ全員が昔のあの聖闘士星矢を実写で観たいと思ってきているわけだが、やはりハリウッド化された実写映画の宿命として、原作や元アニメをなぞるようにはならないのが世の常である。
本作もその例に漏れず、「聖衣がキラキラしてない」「聖闘士が美少年じゃない」「技名を叫ばない」などの肩透かし要因があり、それで皆がっかりしたと思われる。もちろんワタクシもがっかりしたクチである。
ただ、本作では聖衣をデザインするにあたり、原作者・車田正美は「原作の再現が大事なわけではなく、自分が聖衣をデザインした時も古代ギリシャの鎧を参考にした」というようなことを言っていたとのこと。また、CGには頼らない製作を行っており、その結果、遺跡で発掘された感じの甲冑のイメージが強い聖衣になっている。
まあ、原作者がそう言ったらそうなってしまうだろうなぁ。
ただ、製作側は、おそらく青銅聖衣という言葉で、二千年くらいたって青錆が浮かんだ遺跡物を思い浮かべてしまったと思われる。
実際使用されていた二千年前当時はもっとピカピカに磨かれて使われていたのではと思うのだが・・・せめて磨いてほしかったなぁ。
また、大人が観るに耐えるストーリーにする上で、技名を叫ばないというのも妥当な選択だとは思うが、それがないとただの殴り合いになってしまうので、もう少し工夫が欲しかったところ。
この聖闘士星矢というコンテンツを今の時代で一から作り直したいという製作側の意図はわかるしすごく頑張っていた。そこは評価したい。
ただ、劇場に足を運ぶ人の9割は懐かしいあの感じを味わいたくてお金を払っているわけで、そのファンへの配慮ももう少し欲しかったのが正直なところ。

しかし新田 真剣佑の筋肉がすごい。これCGだろ、と思うくらいのすごさ。
ものすごい努力の跡が見えて、それだけでちょっと感動した。
アテナがハリウッドのヒロインぽくて笑った。全くお嬢様っぽくないというか、生意気なことばかり言っていていつもケンカ腰、だけど時々デレる。
でもアテナとして覚醒すると、金髪だった髪が紫に変わるという原作への近づけ方となる。
あと、本作ではアテナの覚醒自体が世界への脅威として扱われているのが興味深い。海神ポセイドン編も、冥王ハーデス編も、アニメオリジナルのアスガルド編も、本来は神が覚醒して世界の脅威となることを阻止するのが聖闘士たちのおおよその目的であったわけで、アテナ自体もその脅威の一つという解釈は目から鱗だった。
また、原作で一番ダサいというか、もうちょっと考えろと思うのが、聖衣を重そうな箱に入れて背負って運ぶという持ち運び方なのだが、ペンダント型にしてスタイリッシュに処理していた。さすがに21世紀の聖闘士星矢で「箱を背負う」はないよな。
まあ、そこは「聖闘士星矢Ω」の「聖衣石(クロストーン)」に倣ったということだろう。どう考えてもこっちの方がかっこいい。
あと、今回の敵役であったフェニックスのネロは、戦いの後、いて座の黄金聖衣のペンダントを持ち去っていた。
原作からモヤモヤしていたのが、聖闘士が最初からその聖衣の聖闘士として修業を積み、例え聖闘士の中の一番階級が低い青銅聖闘士(ブロンズセイント)だったとしてもそのまま一生を終えるのか、それとも力をつけていく中で徐々にランクアップして白銀聖闘士(シルバーセイント)→黄金聖闘士(ゴールドセイント)と格を上げていくのかという点。
原作の星矢たちは必要な時にだけ黄金聖衣を使うものの、普段は青銅聖闘士のままで過ごしていた。物語の終盤では自分たちの持つ聖衣の方が「神衣(カムイ)」にバージョンアップしたりしていたが、原則ランクアップなし。
聖闘士星矢Ω」では「伝説の青銅聖闘士」の面々が黄金聖闘士となっており、ランクアップしているように見える。
もちろん原作原理主義的な考え方であればランクアップなし、周辺作品も含めればランクアップあり、ということなのだろうが、本作でも一定の解を示してほしいわけで、ネロのエピソードからはランクアップありを示唆しているようである。
「The Beginning」を謳っている以上は次回作を想定しているということで、そこで解を示してほしいものだが、今の興行成績で次作が作れるかどうか、そこが難しいところだな。個人的には応援しています!

 

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