観たり読んだり備忘録

片端から忘れてしまう観たものや読んだものを、記憶にとどめておくためにちょいちょいと走り書きとして残してます。それ以外もちょこちょこと。

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(2021)

やっとここまで視聴が追いついた・・・スパイダーマンシリーズ最新作。ネタバレ全開につき注意。

ミステリオの嘘告発により、正体を明かされたばかりかあらぬ嫌疑までかけられたピーター。その影響はMJやネッドにも及び、MITへの入学も不合格とされてしまう。
自分はともかく恋人や友人にまで被害が及んだことに悩むピーターから相談を受け、ピーターがスパイダーマンであるという事実を人々の記憶から消すための呪文を唱えたドクター・ストレンジ。途中でピーターが細かい注文をいくつも加えたことも相まって、呪文は失敗、異なる平行世界から様々なスパイダーマンの敵、ドクター・オクトパス、グリーン・ゴブリン、リザード、エレクトロ、サンドマンを呼び寄せてしまう。
ドクター・ストレンジの命により、彼らを捕獲して元の世界へ戻そうと試みるピーター達。しかし、彼らも苦しんでおり、メイおばさんに「彼らを救うべき」と助言を受けたこと、そして彼らはいずれも元の世界に戻れば死が待っていることを知ったピーターは、こちらの世界で彼らの治療を試みるが・・・

前作まではどちらかというと浮ついたスパイダーマンだった。崇高な理念や使命とは縁遠く、近くの隣人を助けつつも自分の困ったことに対してもバンバン能力を使って解決していくスタイルで、かなりユーモラスな面が強かった印象がある。
しかし本作ではだいぶシリアス寄り。ストーリー展開上やむなしといったところだろう。
それにしても旧作の主要キャストが敵味方ほぼすべて一挙出演とは。ハリウッドマネーの底力がすごすぎて逆に引くわ。
敵もそうだが、やはり主演のスパイダーマンが3人揃うと絵力が強烈。3人とも陰キャ設定なはずなのだがオーラがすごい。
誰が誰だかわからなくなるからナンバリングしよう、というのはわかるのだが、トビー・マグワイアがピーター2、 アンドリュー・ガーフィールドがピーター3なのはちょっと解せない、と皆思ったことだろう。まあトム・ホランド目線では致し方なしなのだが、そこは謙譲の美徳的なセンスで自らピーター3を名乗ってほしかった。
そしてみんなうっすら思っていた疑問。ピーター2だけウェブシューターが体から出ていて、ピーター1と3から「なんでなんで?」と質問される。もっともだ。もっともすぎて回避できない質問だよな~。答えは適当だったけど。

それにしても最近のハリウッドはこういう娯楽大作でも執拗にハッピーエンドを拒否するようで、本作もモヤモヤした感じが残ったままだった。次作への引きが最後に描写されたので、そちらで大団円となることを期待したい。やっぱりスカッとしたいのよ。

 

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島(2022)

アマプラで無料になったので観た。

ジャブローの激戦を経た後、地球連邦軍はジオンの地球本拠地であるオデッサを叩くための反攻を開始した。ホワイトベースは補給を受けるためにベルファストへ赴くが、そこで通称「帰らずの島」と呼ばれる無人島の残置諜者相当任務である。アムロたちはモビルスーツで島に乗り込み捜索に乗り出すが、そこで子供たちがいるのを見る。そして一機のザクと戦闘になり、ガンダムごと崖から落ちて気を失うアムロ
気がつくと半ば廃墟となった建物のベッドに寝かされ、傷の手当てがされていた。
ここには20人の子供たちと、元ジオン兵であるククルス・ドアンが助け合いながら生活していた・・・

おおよそはテレビシリーズ15話の有名な単独回のリメイクだが、細かい点ではだいぶ変わっているようだ。
元になっているのがアニメではなく安彦良和の漫画「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」であるため、ジャブローに行った後にオデッサ作戦へ参加するという順番になっている。
そのため、まだ地球圏であるにもかかわらずスレッガー中尉がメンバーに加わっていてジムを操縦したりしている。

正直、元アニメの「ククルス・ドアンの島」はあまり好きではない。ストーリーの大筋とはほぼ関係のない話だし、ドアンが任務を放棄して子供たちと生活しているのは、なにか根本的なところから逃避しているように見えるから。
たった1話なので人物描写ができるわけでもなく、もやもやしたまま終わってしまったのだが、本作は2時間の映画だけあって、ドアンが当初は残置諜者としてこの島にきたものの、おそらくは子供たちと邂逅し変節を経て、任務を放棄するに至ったのであろう経緯の痕跡は見て取ることができるので、テレビ版よりは納得して観ることができた。

こちらのアムロはアニメ版よりもだいぶ子供っぽくてポーッっとしている。意図的に主人公ではなく脇役的な立ち回りの役目を与えられており、男の子は黙って頑張る、的な一面が出ていた。そしてガンダムに乗り込んでからの、兵士としてジオン兵に対する容赦のないところ。無理やりガンダムホワイトベースに乗せられた人間であるアムロが兵士として葛藤する部分がガンダムというストーリーの醍醐味の一つなので、ここに違和感を持つ人がいるのもよくわかるが、本作においては、個人的にはあってよかったシーンだと思う。

しかし何といっても本作の見どころはモビルスーツ戦であろう。40年たっているので当たり前ではあるが、むしろその割には抑え目というか、元作へのリスペクトを残しつつ聖地でスピード感のある描写がかっこよかった。
もうちょっと時間があれば、ジオン側のパイロットたちの事情や葛藤も描いてほしかった。そうしたらドアンとの関係性にもっと厚みができたのだが。

賛否あるようだが、これだけ巨大コンテンツになると仕方ない。元アニメが好きな人への特典映像的には十分楽しめた。

 

 

横浜駅SF(2016 柞刈湯葉)

WEB小説サイト「カクヨム」のコンテストでSF部門大賞を受賞し、カドカワBOOKSで書籍化。
日本SF対象候補にもなり、話題にもなったので存在は知っていたが、当時はあまりピンとこず、今になって読みたくなって読んだ。

冬戦争と呼ばれる世界大戦から200年が経過した。日本列島のうち、本州はほぼ増殖した横浜駅に覆われていた。
戦争中に開発された人工知能であるJR統合知性体が、自己保存のために日本中に張り巡らされたネットワークノードが自律的に修復できるような機能を導入したところ、それが導入された横浜駅が制御不能となり、癌細胞のように日本中を覆いつくすようになっていった。
そのため、本州の地表はほぼ横浜駅化された。
横浜駅の中に住む住民はエキナカと呼ばれ、6歳になった時に50万ミリエンを支払いsuicaチップを体に埋め込んだ者だけが駅の中で生活することができる。
6歳以上でsuicaを持たないものは、「自動改札」と呼ばれる自律型ロボット兵に駅外へ放逐されてしまう。
そうやって追放されてしまった人間たちはエキソトでコロニーを作り、時おり横浜駅が廃棄するお弁当や食料などで食いつないでいるのだった。
エキソトの人間はsuicaを持っていない。エキナカは「スイカネット」と呼ばれるネットワークが広がっており、それによってsuica判定が行われたり、自動改札が制御されているため、エキソトの人間はエキナカには入れず、無理に入ろうとしても自動改札に押し戻されてしまう。
エキソトの九十九段下で育ったヒロトは、エキナカからからさまよってきた「教授」から頼まれ、横浜駅内の「42番出口」へ行くように言う。そして「キセル同盟」を名乗る男から5日間だけ横浜駅へ入ることができる「18きっぷ」を手に入れ、横浜駅の中へ旅立つ。
そこで、JR北日本工作員アンドロイド・ネップシャマイや、キセル同盟の元リーダー・ケイハと出会い、「教授」から託された42番出口を目指すのだった・・・

もう聞いているだけでワクワクしてくる概念や名称。素晴らしい。
元々の発想が、いつまでたっても永遠にどこか工事をやっていて進化を無限に続ける横浜駅(いつも工事ばかりで歩くのほんと不便なんだけど、いつになったら終わるんだよ!)をモチーフにしており、シニカルなジョーク的なイメージが非凡な才によってぐんぐん広がった結果こうなったのだろう。
横浜駅が富士山を覆っており、とか、関門海峡では横浜駅の増殖を止めようとJR福岡が戦争状態になっている、とか、何でもかんでも横浜駅が猛威を振るっているというのがめまいがしそうなほどシビレる設定で非常によい。SFってこういうのなんだよ・・・!

アンドロイド君たちともっと冒険を繰り広げてほしかったのだが、ラストは意外とあっさり目。前半で横浜駅の描写のボリュームが多かったので、1冊に収めようとしたらまあこうなるしかないが、まだまだもっと遊べそうな概念や風習などがあって、もったいないなあと思った。
それらを部分的に拾い上げた外伝「横浜駅SF 全国版」が出ているので、続けて読もうと思う。

 

アメイジング・スパイダーマン2(2014)

アンドリュー・ガーフィールド主演版の2作目。

ピーターは恋人グウェンとの日常を満喫しつつ、スパイダーマンとしての活動を続けていた。
彼の脳裏にあるのはグウェンの父親からの願いである指示でもある「グウェンに近づくな」。スパイダーマンには今後強大な敵が現れる可能性が高く、その関係が知れれば命が危険にさらされるのは必至だった。
愛するグウェンとの関係を断つのは難しく、さりとて彼女の命が最優先であることは間違いなく、ピーターは葛藤する。
苦しむ彼を見て、グウェンは自分から別れを切り出すのだった。
一方、父親の死によりオズコープ社を継いだ、ピーターの旧友ハリーは、自分も父親と同じ早逝の血が流れていることを知り恐怖する。
スパイダーマンの血があればそれを回避できると信じたハリーは、スパイダーマンと知己を結んでいると思われるピーターに、間を取り持つよう依頼する。
最初は固辞していたピーターだったが、苦しむハリーを見かね、スパイダーマンとしてハリーに会いに行く。しかし、ピーターはコナーズ博士の例から危険と判断し、血を渡すことを拒否。ハリーはスパイダーマンを憎むようになる。
一方、オズコープ社で電気技師として働くマックスは、冴えない風貌に口下手で周りから軽んぜられ、鬱屈した毎日を送っていたが、スパイダーマンに声をかけられることで彼を親友とみなすようになる。そしてオズコープ社で不慮の事故にあい、電気ウナギのパワーを身に着けた電気人間エレクトロへと変貌するのだった・・・

なんというか、いろいろ行き違いが多すぎて悲しくなる。グウェンともよく話し合えばもうちょっといい関係が続けられたろうし、ハリーにも懇切丁寧に事情を説明すればわかってもらえたかもしれず、仮にそれでも実行するなら本人の責任でやらせれば良かったろう。マックスだけまあ如何ともしがたいが、それでももうちょっと周りがうまくコミュニケーションをとっていたらなあ。でもこれがアメリカの人間関係の現実なのかもしれない。

一方、特撮映像の方は前作からさらに進化しており、特にエレクトロの電撃描写とさらにスピードアップした立体機動兵器的なスパイダーマンの動きは素晴らしい。もうほとんど空飛んでるじゃん。これ、4DXで観たかったなぁ。
最後ハリーのヴィラン化があわただしい感じなのは時間が足りなかったからだろうか。もうちょっとしっかり時間を取ってスパイダーマンとの戦いを描いてもよかった。

ラストの展開はちょっとそりゃないだろう、という感じなのだが、コミックの原作通りらしいなので仕方がない。そのあとも話が続く前提だろうし。
ただ、このシリーズとしては本作で打ち切りになってしまったようで、ちょっと残念。

 

アメイジング・スパイダーマン(2012)

なんとなくアマプラを眺めていたところ、スパイダーマンがいろいろ見放題対象になっているのに気がついたのだが、これまでそんなにきっちり興味を持って観たことがなく、記憶も朧気であることが判明。
少しだけ調べたところ、
サム・ライミ版初期3部作 全部観た
アメイジングスパイダーマン2作 なぜか2作目だけ観てた
・MCU版3作 なぜか1作目だけ観てた
という状態。なんでこんな歯抜け状態で観てたんだ・・・
復習も含め、アメイジング~から見直すことにした。
いろいろ細かいことを言えばアヴェンジャーズ系は全部観とけ的なことがあるようなのだが、ニワカなので基本的なことだけ抑えよう。

初期作と共通なのは、
 主人公がピーター・パーカー
 高校生
 育ての親ベンおじさんを自分のミスで強盗に殺され、スパイダーマンになることを決意
 蜘蛛に咬まれてスパイダーマン
 オタク気質の陰キャ
あたりかな(ほかにもいっぱいあると思うが、素人が気がついた主な点ということでご容赦を)。
彼女となるヒロインは初期作(MJ)とは別の子でグウェン。どっちもコミック由来であるようだ。
敵(ヴィラン)ももちろん別で、オズコープ社の研究者・コナーズ博士が作った遺伝子的な何やらの注射で変身したリザードマン。

初期作はかなりお気に入りだったのだが、それは主人公のトビー・マグワイアがあまりハンサムではなくあか抜けておらず、いい感じにオタクっぽいなよっとした青年であり、生真面目で話下手な感じだから。
本作主演のアンドリュー・ガーフィールドは残念ながら(?)結構イケメンで、ペラペラまくしたてる感じなので違和感を感じてしまった。
もっとも、初期作も3作目あたりからペラペラしゃべる系へシフトしていったようなので、どうもコミック版がそういう設定で、そちらに寄せていった結果なのかもしれない。
これも個人的な偏見だが、アメコミはマッチョで男らしく陽キャなイメージが強いので、その正反対の人物像が石ノ森主人公感が出ていてとてもよかったため、劇場版スパイダーマンが面白く感じるのだと我ながら思う。
ただ、本作もよく観ていくと、やはりピーターらしくいろいろと葛藤したり悩んだりしているシーンが多く、そうそうそれだよそれ!と膝をポンと打ちたくなった。
やっぱりスパイダーマンはこうだよな~。
当然のことながらキャストが異なるので全く同じピーターにはできないわけだが、周囲の期待やプレッシャーの中で、アンドリュー・ガーフィールドはよく頑張った。えらい!
また、今作では失踪をとげたピーターの両親がストーリーの肝になっていて、泣かせてくれるネタの一つとなっているのも、アンドリュー=ピーターの深みをうまく演出している。

アクションシーンは初期作と比べて格段によくなっており、目まぐるしいほどのスピードで、予算を考えずぶっとばしていく疾走感が心地よい。糸を使って移動することもあり、「進撃の巨人」と近いかなと思ったり。

しかし、ヴィランリザードマンがなぁ。めっちゃ強いんだけど地味。なんでリザードマンにした?もうちょっと派手めな敵キャラにしてほしかったなぁ。

 

ムーンフォール(2022)

アマプラでガンガン宣伝をやっていたのでそれにつられてつい観てしまった。

宇宙ステーションで船外活動を行っていた3人の宇宙飛行士は謎の飛行物体に襲われた。マーカスは死亡、ファウラーは意識を失った中、必死にファウラーを救出したハーパーは宇宙船を操縦して逃れる。
しかしNASAはハーパーの言うことを信用せず、彼の過失として事件を処理。ハーパーは首となった。
2021年、月の軌道が変わり、徐々に地球へ近づき始める。「月は巨大な人口建造物である」というトンデモ学説を支持するハウスマンが気付き、NASAへ警告を送るが相手にされない。
たまたま子供たちへの体験談を話す科学セミナーで会ったハーパーとハウスマン。ハーパーも最初は相手にしなかったが、ハウスマンの出した定量的根拠を見て真相に気づき、NASAで長官をやっているファウラーに連絡する。
秘密裏に事を運ぼうとしたNASAだったが、ハウスマンがSNSで拡散し世界中がパニックとなる。
また、NASAは月へ探査船を送ったが、乗組員はハーパーが遭遇したものと同じ飛行物体に全員殺された。
極秘情報を長官権限で閲覧したファウラーは、NASAがずっと前に月が空洞であり、人口建造物であることを掴んでいた記録を発見する。
また、謎の飛行物体の攻撃は、電子信号と生体反応が合わさった時に生じることが判明する。
市民はひと時でも長く生き延びるためシェルターへ避難し、アメリカ軍は月を破壊すべく核爆弾を送ろうとする。その中でハーパーとファウラー、ハウスマンは、EMP兵器で月の飛行物体を無効化すべく、コンピュータ制御の不要な過去のスペースシャトルエンデバー号を博物館から調達して月へ飛び立つが・・・

なんというか、アメリカ人が好きそうな要素をてんこ盛りにしたような作品、というのが第一印象。一つ一つのアイテムは目新しいものではなく、むしろ昔懐かしいものばかりなのだが、水戸黄門的にこういうのが胸アツなのだろうな。
地球空洞説とか、太陽の表面温度は実は30度くらいだとか、なぞのトンデモ学説はいろいろあるが、月空洞説も昔よく見かけた。
そして博物館から骨董品的な乗り物やら武器やらを持ち出すのも定番中の定番。最新機械が役立たない中、懐かしのガジェットが大活躍するのは、わかっていてもスカッとする。
また、最後のオチなのではっきりとは言えないが、オタク的メンバーは得てしてこういうラストになりがちなのもちゃんと抑えてある。しかし本当になんでアメリカ人は特攻が大好きなのだろうか??

 

スキャナーズ(1971)

 デヴィッド・クローネンバーグ監督作品ということで、ご高名だけはかねがね伺っていたものの縁がなかった。たまたまAmazonで見かけて観た。

気の弱そうな青年、キャメロン・ベイルがショッピングセンターの中にあるフードコートで、他の客が残した食べ物を漁っているのを、蔑んでいる老婦人およびその連れ。ベイルが老婦人をじっと見つめると、彼女は突然苦しみだして倒れてしまう。
その後、いきなり追われて麻酔銃で撃たれたベイルはとある地下の部屋へ連れ込まれ、自分がスキャナーと呼ばれる超能力者であることを知らされる。
そして、訓練の後、同じスキャナーで人類の敵として跳梁しているレヴォックを倒すべく、スパイとして送り込まれるのだった。

敵のレヴォック役のマイケル・アイアンサイドがとにかくレビューで持ち上げられており、演技力が素晴らしいと絶賛されまくっていて、なるほど確かにこの映画では主役を食うくらいの存在感を醸しているのだが、僕にとってはこの人は「V(ビジター)」の人、というイメージが強く、あれもまあSFっぽい話なので違和感なく入り込めたのだが、初見ではないのでそこまで言うほどか?というのが素直な印象。

SFが好きな者としてはやはりスキャン能力が気になるところ。いわゆる超能力の一種で、そもそもは人の脳を読み取ろうと走査(スキャン)するところから命名されているとのこと。そこから転じて相手の脳に衝撃や苦痛を与えたり、さらにはその派生形としてコンピュータまでスキャンできてしまう、今どきの表現だとチートな能力ということになる。
この「無生物までスキャン可能」という設定に惚れた。1971年という時代なので、いろいろ古い描写なのは当然なのだが、この時代にこれだけの想像力と描写力を映像化しているというのがすごい。逆に今、これだけインターネットやら携帯電話やらが普及している時代では、そういうのはできっこないよねと無意識のバイアスがかかっている分、自由な発想に感心してしまう。僕がよく知らないだけで、他の映画や小説、漫画などでは取り上げられているテーマなのかもしれないが。
ちょっとだけSFを齧った者として、なんでこれまでこの映画を観なかったのかなぁと内心忸怩たるものを感じて観始めたのだが、冒頭のグロいシーンで納得。こういうの昔からダメだからパッケージとか見て回避してたんだな。だからこの映画はホラーのカテゴリーなのかと改めて思い知らされた。
ただ、SF好きからするとゴリゴリの超能力バトルが胸アツで、それだけでも十分楽しめた。
そしてヒロインのジェニファー・オニールが美人すぎて泣けた。まあ、これだけグロい映画なので、なおさら美しさが際立ったのかもしれない。