デューン 砂の惑星〔新訳版〕(原作1965年 新訳版2016年)

旧訳は中学生の頃に読んだが、新訳は読んでいなかった。今回の映画新作封切りに伴い、装丁が一新されKindleでお目見えしたので買って読んだ。
時系列としてはデイビッド・リンチの映画→旧訳→長尺版→ドラマ版→新作映画→本作ということになる。

あらすじはもう旧・新映画のくだりで書いたので省略。

改めて小説を読むと、当時感じていた用語の難解さや荘厳な雰囲気、壮大なスケールや悠久の歴史感覚などが思い出されて懐かしい。
こういうのがものすごくかっこいいと思っており、厨二心をいたくくすぐられたものだ。
この作品が好きな大人たちが、大なり小なり心にいる厨二を刺激されているのは間違いなく、それが全世界に広く多く分布・存在していることを考えると心強く感じる。
作品を好きになるというのはこういうことなんだな、というのを改めて思い知らせてくれるというか。
映画制作者はこの重厚壮大なストーリーを少しでも可視化したいと思って映像化するわけだが、原作の壮大さがすごすぎて、どうしても人の手で100%表すのは不可能だなぁと思ってしまう。

巻末の解説で水鏡子氏がSF小説のオールタイムベストのエピソードを語っておられるが、いつの年代でも断トツ1位になるのがこのシリーズということで、御三家(アシモフ、クラーク、ハインライン)でもかなわないというのはすごすぎる。

SF小説を読む人はみなそれぞれ心を熱くしてくれる何かを求めて作品を読み漁るわけだが、このシリーズにはその皆が求めている熱いなにかが凝縮しているということなのだろう。

ただ、改めて思ったがとにかく難解。各エピソードの冒頭にイルーラン妃が語るムアッディブの言葉がとにかくわかりづらく、これにとらわれると本編も難しく感じてしまうので、これは雰囲気付けなのだと割り切って、サラッと読み流す必要がある。
ただ、これがストーリー全体を「すでに経過した歴史の一部」であるかのように見せるために重要な位置にあり、完全にスルーしてしまうと雰囲気が損なわれるので、匙加減が難しいところ。
あと、登場人物たちがびっくりするほど仲が悪い。
悪い、と言うと語弊があるかな。もうちょっと仲良く「一緒にやっていこうぜ!」という感じだったら読みやすいのだが、いつも誰かが誰かの一言で傷ついたりこだわっていたり、ムッとしたり腹を立てたりすることが多く、登場人物がみな生真面目でウジウジしているのが読みづらい原因の一つ。よくこんな根暗な人たちばかりでこんな大事業を成し遂げたなぁ。
まあでも翻訳物あるあるではある。
なんとなく欧米の方がこういう時にムードメーカー的な人がいるイメージなのだが、どうしてだろう?SFを書くタイプの人には陽キャが少ないということ?(偏見です)。

旧訳から新訳になった際に変更となった用語の読み方については、訳者も思い悩んだようで巻末に解説がついている。まあそうだよなぁ。みんなこの言葉のカッコよさにシビレたわけだから、それを変えちゃうと「俺のデューンじゃない!」って当時は言われたろうな。まあでも仕方ないよなぁ。

ぜひぜひぜひ、シリーズ全部を新訳版として出してほしい!
シリーズ最後の「デューン砂丘の大聖堂」だけ、当時から手に入らなくて買えなかったのだが、久々にググってみたら古本に万単位のプレミアがついていてビビった。